今回ご紹介する神社は・・・
生身天満宮(いきみてんまんぐう)です
こちらの天満宮は『日本最古の天満宮』と呼ばれています。
そもそも、天満宮とは何かと言いますと
学問の神様で知られる
菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りを鎮める為に
彼を神格化し祀った神社の事です。
※天満宮は全国に1万2000社も創建されました
道真は、時の左大臣だった
藤原時平(ふじわらのときひら)と対立し
デマを流された挙句、大宰府(九州)へと左遷され
都へ帰れないまま不遇の死を遂げたんですね。
※一連の出来事を『昌泰の変(しょうたいのへん)』と言います。詳しくは菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。
境内のなだらかな石段を登ると、舞殿があります。奥に拝殿、本殿が並びます。
その後、都を襲った落雷や異変が
「不遇の死を遂げた道真の祟りである!」と考えられた事から
彼の怒りを鎮める為に、全国に天満宮が建てられました。
ここまでの説明から分かる通り
道真の死後、建てられたのが天満宮という事になります。
しかし、この生身天満宮は
大宰府に左遷された道真との別れを惜しみ、生祠(いきほこら)として彼の木像を祀った事が起源とされています
この事から、日本最古の天満宮と言われているんですね
※生身という名前も、存命中に道真を祀っていた事から付けられたようです。
摂社の大神宮です。太陽神と言われる天照大神(アマテラスオオミカミ)や食物神の豊受大神(トヨウケノオオカミ)が祀られています。ちなみに、この大神宮は伊勢神宮の遥拝所とされています。
大神宮から更に石段を登ると『秋葉愛宕神社(あきばあたごじんじゃ)』があります。江戸時代中期に創建されたそうで、火除けのご利益があります。
ちなみに、生身天満宮のある
園部(そのべ・京都府北西部)という地は
代々菅原氏の領地でした。
左遷された際、道真に仕えていた
武部源蔵(たけべげんぞう)が、彼との別れを惜しんで
生祠として、この園部の地に祀ったんですね。
※武部源蔵は道真を祀る他にも、彼の息子を引き取り、育てたと言われています。こうしたお話は歌舞伎の演目(菅原伝授手習鑑・すがわらでんじゅてならいかがみ)にもなっているんですよ。
境内には、その武部源蔵を祀る『武部源蔵社』もあります
こちらは昭和になってから
建てられたものだそうです
その隣には、彼のお墓
宝篋印塔(ほうきょういんとう)もあります。
ちなみに現在も、武部源蔵の子孫の方が
代々、宮司を務めているそうで
現在で38代目との事です。歴史を感じますね~
武部源蔵は、こうして彼の1日も早い帰りを
園部で待っていたのですが・・・
結局、道真は京へ戻る事が出来ず
903年に大宰府にて亡くなりました。
これを受け、武部源蔵は生祠を霊廟に改め
その後、956年にはご祭神として道真祀り
天満宮となったというワケです。
こちらは境内で売られているお守りです。
道真の死後、都を襲った落雷は『道真の祟り』だと
考えられていた事から
天神信仰(天神・雷神様を崇める信仰)と道真が結びつき
道真の事を天神様と呼ぶようになりました
こちらのお守りは、その『天』の字にあやかったもので
「天の字の如く
天まで晴れわたる爽快な人生を送れますように」
との願いが込められたお守りだそうですよ
こちらは拝殿です、その奥が本殿となっています。
絵馬にも道真が描かれています。
名前の上には
天満宮の神紋である梅のマークが入っています。
どうして梅が神紋なのかと言いますと
道真が生前、梅を大変愛していたからなんですね。
※道真と梅に関するエピソードは、菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。
という事で
今回は、最古の天満宮である生身天満宮をご紹介しました。
場所はコチラ↓