今回は京都検定の過去問をお届けします。
写真と解説付きですので
是非、問題にチャレンジしてみて下さいね
では早速1問目です。
【問題】
嵯峨野はかつて皇族や貴族の別業(なりどころ)の地であり、嵯峨天皇の離宮が現在の( )となった。
ア.二尊院
イ.清凉寺
ウ.大覚寺
エ.常寂光寺
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.大覚寺
嵯峨野は京都市西部の地名の1つです。
ここに、桓武天皇の皇子である
嵯峨天皇が離宮を建てたんですね
現在の大覚寺は、これを起源とするお寺です。
毎年4月に行なわれている華道祭では
嵯峨天皇を偲び、献花法要も行なわれているんですよ。
※大覚寺について詳しくは大覚寺 その1、大覚寺 その2の記事をご覧下さい。
続いて2問目です!
【問題】
平安神宮の神苑には、( )の水を引き込んだ池泉回遊式庭園がある。
ア.琵琶湖疏水
イ.鴨川
ウ.高瀬川
エ.音羽川
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では、答えですっ。
【答え】
ア.琵琶湖疏水
平安神宮の神苑は
社殿(対極殿や本殿)の両脇・後ろを取り囲むように
コの字型に広がるお庭で、池の周囲を歩きながら楽しむ事が出来ます。
平安神宮の社殿と同様に
スケール感のある大きさ(総面積3300㎡)が特徴なんですよ
『桜の名所の1つ』に数えられ
園内には約300本の桜が花を咲かせます。
※桜の様子については平安神宮 神苑 その1、平安神宮 神苑 その2の記事をご覧下さい。
ちなみに、平安神宮は
琵琶湖の疎水が京都市内に引き込まれた
10年後に建てられました。
では3問目にいってみましょう
【問題】
江戸時代、狩野派(かのうは)の本家は江戸へ移り「江戸狩野」を形成する一方、( )らは京都に残って活躍し、「京狩野」と呼ばれた。
ア.狩野探幽(かのうたんゆう)
イ.狩野正信(かのうまさのぶ)
ウ.狩野元信(かのうもとのぶ)
エ.狩野山楽(かのうさんらく)
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では、答えですっ。
【答え】
エ.狩野山楽
狩野派とは、室町時代後期より続いた絵師の名家です。
その狩野派でしたが
豊臣家の滅亡後、将軍おかかえ絵師だった狩野派は
京狩野と江戸狩野に分かれる事になりました
こうして京都に残ったのが狩野山楽であり
以後、京狩野の祖と呼ばれるようになったというワケです
彼の屏風画は大覚寺の寝殿にて、見る事が出来ます。
※上記の写真は紅白梅図(こうはくばいず)と言います。詳しくは大覚寺 その1の記事をご覧下さい。
最後の問題です。
1級からの出題になりますので、ズバリでお答え下さい。
【問題】
大江山の鬼退治の伝説・説話で有名な( )は、多田源氏(ただ)の祖、満仲の子で、藤原道長に仕えた。
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では、答えですっ。
【答え】
源頼光(みなもとのよりみつ)
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では、答えですっ。
彼は平安時代中期の武将で、清和源氏のひ孫にあたります。
当時は藤原家全盛の時代であり
彼は藤原道長に仕え、朝廷を守っていました。
そんな源頼光が登場する『大江山の鬼退治』とは
大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ・鬼)が
平安京にやって来ては、都の人々に危害を与えていた為。
勅命を受けた源頼光らが退治しにいくというものです。
仲間だと言って酒呑童子に酒呑ませ
酔っ払った所を退治しちゃうんですね。
源頼光にまつわるお話はいくつかあり
念仏狂言狂言においても、彼の名前は登場します
土蜘蛛という演目で、このお話では
頼光らは、土蜘蛛と戦っています。
※詳しくは千本ゑんま堂大念佛狂言 2012(千本ゑんま堂)の記事をご覧下さい。
という事で本日も4門出題させていただきました。
皆さんは何問正解されましたか?