こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
京都府長岡京市にある・・・
小倉神社です!
奈良時代に創建された古社であり
平安京遷都が行われた際は
小倉神社が裏鬼門(南西)に位置する事から
鬼門(災難)除けの神社として崇敬を受けていました
後に『正一位(しょういちい)小倉大明神』を賜ったと伝えられています。
※正一位は、人や神に与えられる位・階級の最高位です。
社伝によると
山崎の戦い(1582年)においては
秀吉が小倉神社に家臣を向かわせ
戦勝祈願を行ったそうです
※『山崎の戦い』とは、『本能寺の変』で織田信長を討った光秀と、秀吉の戦です。山崎とは、ちょうど小倉神社のある一帯の地名です。廃藩置県によって、現在は山崎と大山崎という地名に細分化されました。
結果的に秀吉が勝利した事から
神社には毎年、米3000俵が寄進されたという事ですよ
※1俵が約60kgですから、3000俵だと18万kgにもなりますっ。
そして、幕末に起こった『禁門の変(蛤御門の変)』においては
徳川方が、この神社で戦勝祈願をしたようです。
※『禁門の変』とは、池田屋事件によって有能な同士を殺害された長州藩が挙兵し、京都市中にて起こした戦いです。禁門の変について詳しくは木屋町界隈の史跡 その2の記事をご覧下さい。
どちらも大きな戦ですよね~。
勝利に導いたからこそ
今も語り継がれているんでしょうけど
それだけ崇拝を受けていた事がうかがえますね
ちなみに、幕末までは6万坪もの敷地を有していたそうですよ。
鳥居をくぐり、参道を歩くと
脇には様々な摂社が並んでいます。
こちらは、その1つである『龍王神社』です。
『雨乞い』の神様であり
干ばつが続くと、村人はここで手を合わせたそうです
神泉苑にある善女龍王社など
龍王と名の付く神社や祠は雨乞い(日照り干ばつを防ぐ)目的で
建てられるものが多いみたいですね。
※平安時代の高僧『空海』による雨乞いが行われた神泉苑については、神泉苑 その1の記事をご覧下さい。
方除け、交通安全祈願が出来る『やちまた宮』です。やちまた(八衢)とは、「分かれ道が多く、迷いやすい事」を指す言葉です。
そして、2つ目の鳥居をくぐると
境内は一段高くなっていて
割拝殿、舞殿、拝殿が一直線に並んでいます
割拝殿です。毎年2月11日にはここで鬼除け弓神事が行われます。詳しくは鬼除け弓神事 2013(小倉神社)の記事をご覧下さい。
こちらの舞殿には、日の丸が掲げられていましたよ。
さらに奥にある拝殿です。後ろに本殿が見えますね。
江戸時代の後期に再建されたものだそうで
祭神には武甕槌神(たけみかづちのかみ)など
春日神(かすがしん・春日四神)を祀っています。
参道の左脇には
亀の手水舎がありました。
手水舎といえば龍が一般的ですよね
ちなみに、他県だと
カエルの手水舎というのもあるみたいですよ
こちらは『十二支石像』です。
自分の干支の前で手を合わせ参拝します
ちなみに、この前を通る道は
『天王山(てんのうざん)』という山へと続いています。
ちなみに
勝負事のターニングポイントや
頂上決戦という意味で使われる『天王山』とは
実在するこの山が語源になっているんです!
冒頭でもご説明した『山崎の戦い』において
この天王山を先に占領出来た方が
この戦に勝つと言われていたようで
結果的に、秀吉が天王山を獲り、光秀に勝利したのでした
という事で、今回は小倉神社を紹介しました~。
場所はコチラ↓