こんにちは京子です。
今回ご紹介するのは11月18日に
守谷神社(もりたにじんじゃ)・富士神社(ふじじんじゃ)で行われた
お火焚祭です
守谷神社と富士神社は同じ場所にあり
京都の北『二ノ瀬(にのせ)』と呼ばれる
貴船よりも少し南に行った所にあります。
守谷神社は『惟喬親王(これたかしんのう)』が祀られ
富士神社には惟喬親王の母である『紀静子(きのしずこ)』が祀られています
惟喬親王は文徳天皇(もんとくてんのう)の第一皇子として生まれました。
そのまま行けば皇太子になる予定だったのですけれど
なんと弟にあたる第四皇子、惟仁親王(これひとしんのう・後の清和天皇)に皇位を奪われてしまいます
惟仁親王の母・藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)と文徳天皇は
政略結婚とも言われ父である太政大臣・藤原良房(ふじわらのよしふさ)の前には
後ろ盾の無かった静子はどうする事も出来なかったんですね。
※文徳天皇と藤原明子について詳しくは、櫟谷七野神社の記事をご覧ください。
皇位を失った後は各地を転々とし
轆轤(ろくろ)を使ったお茶碗などの作り方を
村人に教えていたのが全国に伝わった事から
木地師(きじし)の祖と言われているみたいです
また伊勢物語の主人公とも言われる在原業平(ありわらのなりひら)と仲が良かったみたいですよ。
※在原業平について詳しくは、業平忌 2012(十輪寺)の記事をご覧ください。
そんな守谷神社と富士神社で行われるお火焚祭は
村の集会所(広場)から松明を持った行列が出発し
守谷神社・富士神社を目指します
天にいる神様が里帰りをされたので
「昨年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。」
というお礼の気持ちで旬の食べ物を振舞ったり舞を披露する祭です
※930年頃から行われている祭だそうですよ。
それでは早速レポートしていきましょう。
18時半頃
ニノ瀬にある集会所へ到着すると
広場の中央には巨大な焚き木が用意され
関係者の方が集まって来られる所でした。
集会所にある建物の中には
神様にお供えする直会(なおらい)の
鯉と鯛
※古くはこの直会の入れ物の様に大きかったそうです。
お酒の入った直会
などが準備され
直会を担ぐ稚児がいましたよ。
※毎年、村人の中から3人の女の子が選ばれるそうです。
しばらくすると
町民を集めるために太鼓が鳴らされ
19時頃になると出発の準備をします。
焚き木から手に持つ松明に火を付けると
いよいよ行列の出発です
集会所の右手に守谷神社・富士神社はあるのですけれど
行列は一度左手に向かって迂回してから神社を目指します。
どうして左手に行くのかと言いますと
昔は左手に東ノ宮という惟喬親王が祀られているお宮があり、 そちらに寄ってから富士神社へと向かっていました
稚児は直会を頭に持って移動します。
災害によってお宮は無くなり富士神社横に新たに設けられましたけれど
行列だけは当時の名残りとして
今でも一度、左に迂回してから
守谷神社・富士神社へと向かっているそうです
川の土手沿いを歩いて
10分程で境内に到着すると
本殿前で神事が行われました。
舞殿では火が焚かれカマスの開きがありましたよ。
守谷神社・富士神社のそれぞれで祝詞が読み上げられますけれど
その最中、舞殿では鈴を持った巫女さんにより
3分程の舞が2回披露されましたよ。
その後、玉串が奉納され
約1時間程でお火焚祭は終了です。
神事が終わると帰り際には
巫女さんが鈴を鳴らして
お祓いをされていましたよ
行列や舞の様子は動画でご覧ください。
そんなお火焚祭が行われた守谷神社・富士神社の場所はコチラ↓
より大きな地図で お火焚祭 を表示