こんにちは京子です。
本日ご紹介するのは十輪寺(じゅうりんじ)で行われた業平忌(なりひらき)です。
お昼頃、十輪寺に到着した京子
十輪寺ではすでに準備が整っていました
在原業平(ありわらのなりひら)と言えば、平安のプレイボーイと言ったイメージではないでしょうか。
なんと言っても彼は、伊勢物語の主人公と言われ
伊勢物語の多くの段が
「昔、男ありけり」
から始まり、男とは在原業平を指しています
※伊勢物語は、作者不明の仮名の文と歌の連鎖で描かれる恋愛、友情、人間模様が描かれている物語です。
また彼は六歌仙、三十六歌仙の1人でもあり、大変な風流人だったんですね。
実際、彼の歌は伊勢物語の中に、数多く登場しています。
そんな彼を偲ぶ業平忌が、晩年住んだと言われるお寺
十輪寺で行われました。
では早速レポートしていきましょう。
鳳輦形(ほうれんがた)の本堂
まず導師の方が来られると、散華(さんげ)や声明(しょうみょう)を行います。
散華とは花を撒く事を意味し
声明とはお経にリズムを付けて唱える仏教音楽です。
※声明に関しては実光院 その1の記事をご覧下さい。
そして関係者の方たちによる菖蒲(しょうぶ)の献花です。
こちらは境内にある『なりひらもみじ』
その後、般若心経が唱えられ
舞が披露されていましたよ
かつては琵琶で経文を唱えていましたけれど
現在では三弦(三味線)に置き換えられています。
最期に活花の京楓流家元の方による活花供養が行われました。
こちらはカキツバタです
実は在原業平とカキツバタ(杜若)は切っても切れない関係なんですね。
伊勢物語の九段、『東下り(あずまくだり)』には
業平が都から三河の国(現在の愛知県)へ行ったとき
八つ橋のほとりにカキツバタが咲いているのを見かけ
都に残した恋人を思い出したそうです
そして『カキツバタ』という5文字を各区の頭において次の歌を詠みました。
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ」
唐衣を着続けていると、だんだん体に馴染んでくる。それと同じように慣れ親しんだ妻を都に残しての旅は、遠くまで来たものだなと寂しく思います。
こちらは業平のお墓です。
こうして彼が晩年過ごした十輪寺で
業平を偲ぶ業平忌が関係者によって行われました。
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