こんにちは京子です。
今日は・・・
御霊祭(ごりょうまつり)へと行って来ました
御霊祭は上御霊神社のお祭りで、明治時代までは旧暦の8月18日に行われていましたけれど
現在では5月の18日に行われています
どうしてこのお祭りが始まったのかと言いますと
時は平安時代
桓武天皇の時代に疫病が大流行してしまいます。
疫病の原因は怨霊の祟りによるものだと信じられていました。
この怨霊を鎮めるために始めたのが御霊祭の起源と言われる御霊会なんです。
※詳しくは神泉苑 その1の記事をお読み下さい。
その最初の御霊会で祀られたのが
崇道天皇(桓武天皇の弟である早良親王、伊予親王、藤原夫人、藤原仲成、橘逸勢、文室宮田麻呂)でした。
彼らは政変に巻き込まれ、非業の死を遂げた方達なんです
つまり怨霊とは非業の死を遂げた方達の霊と言うことになります。
かれらの霊を鎮める為にしたのが御霊会であり
御霊祭へと繋がっているんですね
ちなみに5月から8月頃に京都ではお祭りがたくさんあるのですけれど
この御霊会にちなんだものが多く有るんですよ
それってやっぱり疫病が流行った季節とぴったり合ってるんですね。
それではさっそくレポートして行きたいと思います。
午前11時に上御霊神社へ着いた京子
舞殿には本日のお祭りの神輿が3基ありますね
実は御霊祭は5月18日だけを指すお祭りではなくて
5月1日から5月18日までをお祭りの期間としています
5月1日、午後1時より社頭の儀が拝殿で行われ
5日は子供神輿
17日には宵宮祭で和太鼓が奉納されます
そうこうしているうちに
本日神輿を担ぐ担ぎ手の皆さんが集まってきましたよ
小山郷、今出川口、末廣の順に本殿前にて
二礼二拍手一礼をします。
その際、鳴閂(なりかん)を持った方が神輿をあたかも持っているかのように
音頭をとりながら本殿前まで来ていました
そして11時半頃から渡御の儀(とぎょのぎ)が行われます。
神主さんによるお祓いと祝詞が奏上され
巡幸の準備はばっちり整いました。
そして午後1時
いよいよ神輿が出ます
今出川口の神輿。神輿の胴の前後に鳥が描かれています。 後水尾天皇より寄進されたものです。
小山郷の神輿。こちらも鳥が描かれています。 後陽成天皇から寄進されたものみたいです。
末廣の神輿。末広がりの唐破風で屋根は神明作り。
お神輿は上御霊神社を出て氏子町をまわり
京都御所を目指します
こちらは龍鉾
こちらは蓬莱御鉾
こちらは鷹羽御鉾
こちらは八乙女
こちらは御霊祭稚児
こちらは若武者行列
京都御所に行く理由は江戸時代最後の天皇である
孝明天皇と明治天皇がこの御霊祭をかつてお出迎えしたことにちなんでいるんですよ~
牛車が御苑内に入って行くのは140年振りだそうですよ
牛車は後陽成天皇に寄進されたものらしいです。
その後、御所を出て再び氏子町をまわり
出町柳にある桝形商店街へと向かいます。
こちらも見せ場の1つで、狭い商店街の中を神輿が
音頭をとりながら神輿を上げて神輿揺らしをします
商店街を通る様は迫力満点です
その後、神輿は上御霊神社へと戻り
クライマックスを迎えます
境内に入った神輿は何度も何度も
神輿を上げて神輿揺らしを行い、異常な熱気で満ち溢れていました
ちなみに一昨年の様子をコチラからご覧できます♪
そんな上御霊神社で行われたは御霊祭 還幸祭はコチラ↓
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御所で行われた場所はコチラ↓
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