こんにちは京子です!
今回ご紹介する神社は・・・
梛神社(なぎじんじゃ)です
場所は新撰組で知られる壬生(みぶ)エリアに位置します。
元祇園社(もとぎおんしゃ)とも呼ばれ
祇園祭が行われる『八坂神社』の起源となった神社です。
そもそも祇園祭の始まりは
平安時代に『神泉苑(しんせんえん)』で行われた
御霊会(ごりょうえ)が元になっています。
京に疫病が広がり
それを鎮める為に行われたものです。
※当時の人は政治的陰謀により非業の死を遂げた人の怨霊を慰める事で疫病が治まると考えたんですね。
播磨国(はりまこく・現在の兵庫県南姫路市)から
牛頭天王(ごずてんのう)の神霊を勧請し
祇園社(現・八坂神社)に66本の鉾を立てて行列しました
※牛頭天王とはインドにおける初期の仏教伽藍の1つ『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)』の守護神です。
こちらが拝殿になります。
御供石(ごくいし)です。祇園祭の山鉾巡行のとき、この石の上に神饌(しんせん・神様へのお供え物)を置き供えたそうです。
この時
平安時代の公卿である藤原基経(ふじわらのもとつね)が
祇園社の精舎(仏教施設)を建立するのですが
その精舎が出来るまでの間
祭祀(さいし)した場所こそが梛神社でした。
かつてこの地には数万本の梛の木があったそうで
牛頭天王の御霊を乗せた神輿を
梛の森に祀ったんですね。
これが元祇園社(梛神社)と呼ばれるようになった理由です。
梛の実みくじが取り付けられた梛の木。
境内で販売されれいる梛の実みくじ。中におみくじが入っています。願い事を書いて梛の木に吊るすと良いそうですよ。
梛の木は紀伊半島や伊豆半島、四国、本州南岸の
温暖地方に多く生えている木で
平安時代に皇族の間で流行した『熊野詣(くまのもうで)』では
神木とされています
※熊野詣とは、紀伊半島南部、和歌山と三重の県境にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社という熊野三山を参拝する神事。
境内にある稲荷社です。朱色が綺麗ですね。祭神には上川稲荷大神が祀られています。
他にも小さな祠(ほこら)がありました。
その後、祇園社(現・八坂神社)へと牛頭天王の分霊が移される際
住民は花を飾った風流傘(ふりゅうがさ)や鉾を振り、音楽を奏で
神輿を八坂へと送り届けた事が
祇園祭の『傘鉾』の起源になったとも言われています
ちなみに毎年5月第3日曜日には『神幸祭』が行われています。
神霊を鳳輦(ほうれん)や子供神輿に移し
氏子町を鼓笛隊、獅子舞と一緒に巡行するんですよ
そして梛神社の拝殿のすぐ隣には
隼神社(はやぶさじんじゃ)の拝殿があります。
2つは隣接するように建てられています。
こちらも梛神社同様に平安時代からある古社で
かつてはもう少し北に位置していたようですけど
大正時代になり梛神社境内に移動されました。
江戸時代には『はやぶさ』という呼び名が『ハヤクサ』に訛り
そこから瘡・瘡神(くさのかみ)と結び付き
隼神社では瘡毒(そうどく・梅毒や腫れ物・疱瘡など)平癒の祈願が
行われていたそうですよ。
そんな梛神社の場所はコチラ↓