こんにちは京子です。
今回ご紹介するお寺は
![乙訓寺 牡丹](2012/05/02/01/2012-05-02-1.jpg)
乙訓寺(おとくにでら)です。
現在、牡丹(ぼたん)が見ごろを迎えています
境内には約30種、2,000株が植えられている事から
別名『牡丹寺』ともいわれています。
![乙訓寺 白い傘と牡丹](2012/05/02/01/2012-05-02-5.jpg)
参道には綺麗に手入れされた牡丹が咲いています。白い傘は牡丹を雨などから守る為に立てられているそうです。
例年、4月下旬から5月上旬にかけてが見ごろです。
本来であれば、まず赤の牡丹が咲き
次に白の牡丹、最後に黄色の牡丹という順番で
バトンタッチして咲いていくそうですけれど
今年は早咲きの赤い牡丹の開花が
例年よりも遅かった事もあり
見事にどの色の牡丹も一斉に咲いています♪
![乙訓寺 牡丹一輪](2012/05/02/01/2012-05-02-6.jpg)
乙訓寺に牡丹が植えられたのは
昭和初期だそうで
奈良県にある『長谷寺(はせでら)』から移植されました
※こちらも同様に牡丹で有名なお寺です。
以後、住職の方の努力により
毎年、綺麗な花を咲かせているんですね♪
![乙訓寺 地蔵塔](2012/05/02/01/2012-05-02-7.jpg)
整然と並べられた小さなお地蔵さん。『地蔵塔』と言います。
![乙訓寺 早良親王供養塔](2012/05/02/01/2012-05-02-2.jpg)
こちらは早良親王(さわらしんのう)の供養塔です。
彼は乙訓寺のある長岡京に深く係りのある人物
として知られています。
桓武天皇が平城京から都を移す際に
信頼が厚かった藤原種継の手腕により
長岡京へ都が一度移されました。
しかし、遷都後まもなく種継が暗殺されてしまい
その首謀者と深くかかわっていたんじゃないかと
疑いをかけられたのが
桓武天皇の弟であった早良親王でした
![乙訓寺 本堂](2012/05/02/01/2012-05-02-4.jpg)
こちらが本堂になります。
早良親王は無実を訴え断食までしますが
流罪を命じられ、途中で餓死してしまったのです
そのような出来事があった後
桓武天皇の周りの人が次々と亡くなり
「早良親王の祟りによるものではないか?」と噂され
結果的に
長岡京から平安京に都を移す事となったんですね。
そして早良親王の怨霊を鎮める為に
嵯峨天皇の勅旨により
弘法大師『空海』が乙訓寺に在住する事となりました。
この事から乙訓寺は弘法大師ゆかりの寺ともいわれています。
![乙訓寺 絵馬](2012/05/02/01/2012-05-02-3.jpg)
絵馬にも白い牡丹が描かれています。
牡丹のシーズンになるとシャトルバスも運行され
多くの方が牡丹を見に乙訓寺へ訪れます。
ちなみに花言葉は『王者の風格』『高貴』という意味があるそうですよ。
![乙訓寺 牡丹2](2012/05/02/01/2012-05-02-8.jpg)
根の部分は漢方薬の原料としても用いられます。
そんな牡丹は日本文学にも数多く登場します。
一番古いものですと
清少納言によって書かれた『枕草子』で
この他にも
牡丹をモチーフに詠まれた歌や俳句は多く
平安時代の公卿であり歌人の藤原重家や
江戸時代の俳人である
松尾芭蕉や与謝蕪村(よさぶそん)、小林一茶など
の作品が残っています。
明治期には
正岡子規(まさおかしき)や夏目漱石らも俳句も詠み
牡丹は初夏の季語として親しまれています。
そして絵画では
江戸時代後期の浮世絵師である
葛飾北斎の「牡丹に蝶」や
安土桃山時代を代表する狩野派の絵師
狩野山楽の「牡丹図」などの作品が今も残っています
この他にも
五摂家の1つである『近衛家』の家紋にも
牡丹が使われているんですね♪
こうした事から
牡丹は多くの人に愛される花だという事が
お分かりかと思います
そんな牡丹が現在見ごろの乙訓寺の場所はコチラ↓