こんにちは京子です。
今回ご紹介するお寺は
乙訓寺(おとくにでら)です。
現在、牡丹(ぼたん)が見ごろを迎えています
境内には約30種、2,000株が植えられている事から
別名『牡丹寺』ともいわれています。
参道には綺麗に手入れされた牡丹が咲いています。白い傘は牡丹を雨などから守る為に立てられているそうです。
例年、4月下旬から5月上旬にかけてが見ごろです。
本来であれば、まず赤の牡丹が咲き
次に白の牡丹、最後に黄色の牡丹という順番で
バトンタッチして咲いていくそうですけれど
今年は早咲きの赤い牡丹の開花が
例年よりも遅かった事もあり
見事にどの色の牡丹も一斉に咲いています♪
乙訓寺に牡丹が植えられたのは
昭和初期だそうで
奈良県にある『長谷寺(はせでら)』から移植されました
※こちらも同様に牡丹で有名なお寺です。
以後、住職の方の努力により
毎年、綺麗な花を咲かせているんですね♪
整然と並べられた小さなお地蔵さん。『地蔵塔』と言います。
こちらは早良親王(さわらしんのう)の供養塔です。
彼は乙訓寺のある長岡京に深く係りのある人物
として知られています。
桓武天皇が平城京から都を移す際に
信頼が厚かった藤原種継の手腕により
長岡京へ都が一度移されました。
しかし、遷都後まもなく種継が暗殺されてしまい
その首謀者と深くかかわっていたんじゃないかと
疑いをかけられたのが
桓武天皇の弟であった早良親王でした
こちらが本堂になります。
早良親王は無実を訴え断食までしますが
流罪を命じられ、途中で餓死してしまったのです
そのような出来事があった後
桓武天皇の周りの人が次々と亡くなり
「早良親王の祟りによるものではないか?」と噂され
結果的に
長岡京から平安京に都を移す事となったんですね。
そして早良親王の怨霊を鎮める為に
嵯峨天皇の勅旨により
弘法大師『空海』が乙訓寺に在住する事となりました。
この事から乙訓寺は弘法大師ゆかりの寺ともいわれています。
絵馬にも白い牡丹が描かれています。
牡丹のシーズンになるとシャトルバスも運行され
多くの方が牡丹を見に乙訓寺へ訪れます。
ちなみに花言葉は『王者の風格』『高貴』という意味があるそうですよ。
根の部分は漢方薬の原料としても用いられます。
そんな牡丹は日本文学にも数多く登場します。
一番古いものですと
清少納言によって書かれた『枕草子』で
この他にも
牡丹をモチーフに詠まれた歌や俳句は多く
平安時代の公卿であり歌人の藤原重家や
江戸時代の俳人である
松尾芭蕉や与謝蕪村(よさぶそん)、小林一茶など
の作品が残っています。
明治期には
正岡子規(まさおかしき)や夏目漱石らも俳句も詠み
牡丹は初夏の季語として親しまれています。
そして絵画では
江戸時代後期の浮世絵師である
葛飾北斎の「牡丹に蝶」や
安土桃山時代を代表する狩野派の絵師
狩野山楽の「牡丹図」などの作品が今も残っています
この他にも
五摂家の1つである『近衛家』の家紋にも
牡丹が使われているんですね♪
こうした事から
牡丹は多くの人に愛される花だという事が
お分かりかと思います
そんな牡丹が現在見ごろの乙訓寺の場所はコチラ↓