こんにちは京子です
本日お届けするのは北野天満宮の境内末社である
文子天満宮(あやこてんまんぐう)で行われた・・・
文子天満宮祭 神幸祭です!
ちなみに、北野天満宮が創建されるきっかけとなったのが
文子天満宮なんですね。
時は平安時代。
多治比文子(たじひのあやこ)という
ひとりの巫女からお話は始まります
942年、彼女にある日お告げが届きます
誰からのお告げかと言いますと・・・
学問の神様『菅原道真(すがわらのみちざね)』です
ちなみに彼女は道真の乳母でもあったんですね~。
当時、平安京には落雷などの異変が相次いでいました。
これは無実の罪で大宰府へ左遷され不遇の死を遂げた
道真の祟りではないかと噂されていて
朝廷は彼の死後、左遷を撤回し
右大臣に戻し、正二位(しょうにい)の官位を授けていたのです。
※詳しくは『北野天満宮 その2』の記事をご覧下さい。
そんな状況の中、文子は
「右近の馬場(現在の北野天満宮の場所)に私を祀りなさい」と
道真から神託を受けました。
しかし、家が貧しかった為
自宅(現在の京都市下京区)の庭に小さな祠を設け
そこに祀っていたのです
さらに、5年後
滋賀の太郎丸という神官の子供にも同様の神託があった事から
これらに基づき
947年、朝廷によって
右近の馬場に道真を祀る社殿を造営しました
これが北野天満宮のはじまりです。
以後、全国に1万2000社も天満宮が創建される事となるんですね。
さて、14時になると
北野天満宮の宮司さんが入場され、いよいよ神事が始まります
一連の神事が終了した後
文子天満宮の前に安置されている神輿に
道真の御霊が入れられます。
御霊は人目に触れないように、白い布に覆われ、神輿に移されました。
本日は神幸祭という事で
ここから約南に1キロ先の『文子天満宮御旅所』に
神輿をお届けします。
御旅所に向けて北野天満宮の東門より出発です
こうしてお旅所へと出発します。
お旅所は、かつて文子天満宮のあった場所だそうで
明治6年に北野天満宮の境内末社へと移動されました
ちなみに
約30分かけてお旅所に運ばれた神輿は
再びお祓いや玉串奉納などの神事を終え
本日は終了です
3日後の15日には『文子天満宮祭・還幸祭』が行われ
お旅所から神輿が出発し
氏子区域となっており、練り歩きます
そんな文子天満宮 神幸祭が行われた
文子天満宮の場所はコチラ↓