こんにちは京子です!!
本日、ご紹介する神社は・・・
花咲稲荷神社(はなさきいなりじんじゃ)です。
さて、こちらの神社の起源はと言いますと
かつて屋敷内に祀られていたお稲荷さんでした。
誰の屋敷なのかと言いますと
京都出身で、江戸時代初期の歌人である
『松永貞徳(まつながていとく)』という人物です
彼が隠居後
この地に邸宅を建てた際に鎮守社として祀られたものだったんですね。
ちなみに松永貞徳の祖父にあたるのは
戦国武将の松永久秀(まつながひさひで)という人物。
連歌や茶道に長けた教養人という一面もあり
一時は信長の家臣として仕えていた武将です
祭神は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)です。宇迦之御魂大神とも云われる稲荷神です。
「松永貞徳花咲亭址」と書かれた石碑があります。つまり、松永貞徳の邸宅跡という事です。
そんなおじいちゃんを持つ貞徳も教養を身につけ
20歳になると
豊臣秀吉の右筆(ゆうひつ)になります
『右筆』とは武士の秘書役であり、代筆係りです。
武士は地位が高まると
公私にわたり文書を出す機会が増える為
専門職の右筆を活用したんですね。
例えば挨拶文程度のものから、機密に関わる文章まで
数多くの文章を右筆に書かせ
差出人(本人)は署名や花押(かおう・サイン)のみを行うのが一般的だったのです
ちなみに、あの関ヶ原の戦いで西軍の武将だった
石田三成も秀吉の右筆出身なんですよね~。
さて、そんな右筆だった松永貞徳は
武将であり歌人の『細川幽斎(ほそかわゆうさい)』などから和歌を学び
40歳を過ぎてからは私塾を開き俳諧(俳句の源流)の指導にあたったそうです。
江戸時代には俳諧が流行し
井原西鶴や松尾芭蕉などのスターも誕生するんですよね~
こちらは拝殿です。
更に奥に本殿があります。お神酒(おみき)もお供えされていますね。地元のひとたちの信仰が絶えないようです♪
もちろん稲荷神社という事で狐もいました。
狐は稲荷神の神使(しんし)なんですよね。
そんな彼も60代半ばで隠居し、この地に移り住み
屋敷が建てられ、稲荷神が祀られたという事です
貞徳は大変愛されていた人物のようで
『柿園』『芦の丸屋』『花咲の翁』『五条の翁』『御傘』など
沢山の呼称で呼ばれ親しまれていたそうです。
1654年、83歳でこの世を去った松永貞徳。
お墓は京都市南区の上鳥羽にある実相寺にあります。
気になる方は足を運んでみてはいかがでしょうか
そんな松永貞徳の邸宅跡にあったお稲荷さんである
花咲稲荷神社の場所はコチラ↓
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