こんにちは京子です♪
さて本日ご紹介するお寺は・・・
北向山不動院(きたむきざんふどういん)です
ちょっと変わった名前のお寺ですけれど
まずは、こま札をチェックしてみましょう~。
通称『北向不動』『北向きのお不動さん』とも呼ばれる
北向山不動院が建てられたのは平安時代、1130年の事です。
鳥羽上皇の勅使により、鳥羽離宮(とばりきゅう)内に創建されました。
※上皇とは元天皇という意味です。
ちなみに、鳥羽離宮は1086年に白河天皇が造園をはじめ
退位後、上皇として院政を行った場所です。
広さは東西1.5キロ、南北1キロ
約36万坪にも及ぶ広大もので
当時、政治の舞台となっていた場所なんですね
門を入って右手には『千手観音菩薩』『虚空蔵菩薩』『文殊菩薩』『普賢菩薩』が並んでいます。
左回りに参道を歩くと『山王大権現』があります。
手前が『山王大権現』奥が『稲荷大権現』だそうです。
そんな北向山不動院を開山したのは
興教(こうぎょう)大師というお坊さんです。
そして彼が仏師・康助(こうじょ)に刻ませたのが
現在の本尊である『不動明王(ふどうみょうおう)』です。
この不動明王を御所の方向(北向き)に向けて祀った事から
北向山不動院という名が付いたんですね
ちなみに、不動明王の伝承も残っていまして
興教大師が鳥羽上皇の病気を治すために祈祷していると
本尊の不動明王が突然現れ、上皇にお加持を行い
見事に病気を治したとも言われているんですよ。
さて、不動明王はお堂の中だけではございません。
外にもたくさんいらっしゃいましたよ
こちらの『不動滝』をよーく見てみると・・・
『不動明王』を発見
じつはまだまだあるんですけど、それは後ほどっ
不動滝の後ろにあったのは『役行者像(えんのぎょうじゃぞう)』です。彼は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者と言われています。
こちらは薬師如来堂です。
本堂も不動明王と同様に北向き(御所の方向)に建っています。
現在のお堂は
江戸時代、東山天皇(ひがしやまてんのう)の旧殿を下賜し
移築されたものだそうです。
※1月16日には大護摩法要が行われ、その際に本尊の不動明王を見る事が出来るそうです。
ちなみに、北向山不動院は、これまでに何度も
荒廃復興を繰り返しています。
平安時代後期の公卿『藤原忠実(ふじわらのただざね)』が中興。
その後、応仁の乱(1467年)などで戦火にも遭いますが
江戸時代に、朝廷により復興を果しました。
かつて天台宗延暦寺の末寺だったそうですが
現在は単立寺院であり
天台宗系の寺院という位置づけのようです
本堂にかかっていた額にも不動明王が描かれていました。
『鳥羽天皇勅願所』と書かれています。
では、ここから
境内にあります様々な石像をご覧下さい。
本堂奥にあります『明王像』
他にも大日如来など様々な石像があります。多数の明王がいる北向山不動院は『近畿三十六不動尊』の第22番霊場にもなっています。
明王のひとり『金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)』です。密教において明王は大日如来の化身と言われています。
明王が怒っている表情をしているのは、武力によって仏教を広めた為だと言われています。
この他にも
境内には湧き水が流れています。
「洗心井戸」と言う井戸は1849年から
行者や参詣者の心身を清めてきた水(洗心水)だそうです。
そして、最後にご紹介するのは
『一願不動梵鐘』です。
※位置は京子が入ってきた門の外側に位置します。
かつては、とてもよく響いたそうで
なんと
巨椋池(昭和前期まで存在していた京都南部の巨大な池)
を含む、伏見一円まで達したと言われているんですよ
という事で本日は、多数の明王像が拝見出来る
北向山不動院をご紹介いたしました~。
場所はコチラ↓
大きな地図で見る