こんには京子です♪
さて、気付くともう師走です~
そんな、本日ご紹介する場所は
(・∀・)ノ南座(みなみざ)です
南座とは歌舞伎(かぶき)を行う伝統的な劇場です。
その始まりはとても古く、江戸時代初期っ。
歌舞伎の誕生と共に建てられたのが南座です
では、まず歌舞伎が誕生するまでを
簡単にお話したいと思います。
歌舞伎とは・・・ある一人の女性によって始まります。
それが
出雲の阿国(いずものおくに)という芸者っ。
銅像もなんだかハイカラな感じがしますよね
彼女が歌舞伎の創始者だと言われています。
※この石碑は南座のすぐ側にある四条大橋の東側に立っている石像です。
1603年、北野天満宮で初めて出雲の阿国によって
歌舞伎の公演が行われ
彼女はそこで
『男装し茶屋遊びをする伊達男』を演じ、一躍人気者になったそうです
以後、この石像のある四条河原でも公演が行われていたそうですよ。
歌舞伎は瞬く間に人気となり
そのうち遊女たちによる『遊女歌舞伎』や
前髪のある少年による『若衆歌舞伎』が登場しました
前髪のある?というのは
江戸時代は15歳で元服(成人儀礼のひとつ)し、男性は前髪を剃るのが一般的でした。
つまり、前髪の下ろしている男は
男色も盛んな時代であり男性にとっては
性的対象になりやすいのです。
そのせいもあって、遊女歌舞伎や若衆歌舞伎は
風紀を乱すという理由から江戸幕府によって
取り締まり対象となって
禁止される事となりました
南座の隣の建物の西側にある『出雲歌舞伎発祥の地』のこま札と石碑
その後、みなさんもご存知の
野郎歌舞伎へと
発展していく事となります。
※ちなみに現在の歌舞伎界でもっとも有名なのが「市川家」でしょう。1660年(江戸時代初期)初代 市川團十郎から続く伝統的な家元です。
さて、さて
お話を『南座』に戻しまして
遊女歌舞伎が登場して、まもなく出来たのがこちらの南座です。
この付近(四条河原)には
当初、7つの芝居小屋が建てられました。
この南座の他にも、現存する建物が・・・
こちらの『北座(きたざ)』です。
南座と四条通りを挟んだ北側に位置します
明治期まで残った劇場がこの2つでしたけれど
明治26年にはこちらも廃座となりました。
北座跡地に建てられているこま札。
北座跡の石碑です。
そんな南座のこの季節の名物と言えば・・・
顔見世(かおみせ)です
役者の名前が書かれた板。
写真を見ると、これが何枚も張り出されているのが
お分かりですよね
つまり・・・
「今年1年、南座の公演はこの役者さんたちでやるんどす~」
と発表しているのです。
江戸時代、劇場の役者の雇用契約は1年でした。
11月から翌年10月までがその期間だったんです。
つまり、役者の顔ぶれが変わるのが11月であり
その顔見世公演がこの時期ちょうど始まるんですね
※これは各劇場にとっても最も重要な年中行事のひとつなんです。
「今年、南座はこんな役者を揃えましたよ」
と、アピールするように
南座の正面には
役者の名前が書かれた『まねき』と呼ばれる看板が並びます。
今年は54枚のまねきが掲げられました。
その時期に合わせ行われる
『顔見世公演』は京都の風物詩になっているのです
顔見世は旧暦でいう11月ですので
つまり現在の12月という事になります。
(顔見世公演は11月30日から12月26日まで行われます)
『まねき』の一番上には吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行と書かれています。
まねきは顔見世の始まる11月30日に掲げられ
「坂田藤十郎」「片岡仁左衛門」などの人気役者のまねきが上がる際には
見物に来た歌舞伎ファンからは拍手も上がるんですって
という事で
そんな登録有形文化財にも指定されている
南座の場所はコチラ↓
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