こんにちは~
絶賛、紅葉レポート中の京子です。
今回、ご紹介するお寺は
勝林院(しょうりんいん)です
京都、大原にあるこちらのお寺は
1013年に寂源(じゃくげん)というお坊さんによって
建てられました。
時は平安時代中期
左大臣の息子であった寂源は、もともと天皇に使える侍従(じじゅう)でした。
しかーし
19歳の時に出家し
天台宗で有名な延暦寺に入ったんですね。
※延暦寺に関しては延暦寺(東塔)の記事をご覧下さい
そして、そこで出会ったのが声明梵唄(しょうみょうぼんばい)なんですね。
声明とは
インドから伝わった仏教音楽
お経に節やリズムをつけた声楽です。
天台宗の声明は『天台声明』として900年以上に渡り今も残っているんですよ。
寂源は、その後、延暦寺を飛び出し
大原という地で新たな活動に取り組みだしたのです。
※当時は、延暦寺を出た僧は大原に移り住む事が多かったそうですよ。
そして、この地で声明活動を行いました。
ちなみに、ここからも近い勝林院の僧院・子院(修行僧の為の生活施設)である
『実光院』には声明に使う為の、珍しい楽器が沢山置いてあるんですよね。
これに関しては実光院 その1にてじっくりご紹介しています。
本堂の欄間部分の飾りです。とても綺麗ですね♪鶴と松が描かれています。
こちらは梅と花と、めでたい鳥と言われている山鵲(さんじゃく)
そして、これは紅葉ですね。羽ばたいているのはキジです。
さて、そんな寂源が建てたお寺である勝林院には
『美男の阿弥陀』様がいらっしゃいます
美男
そうなんです。
本尊である阿弥陀如来が美男子だという事なんですね。
では早速、見ていただきましょう~。
どどん
さらに倍っ
・・・いかがでしょうか
仏像の中でも目がキリっとしていて
ステキですね。
本堂には『美男の阿弥陀様の指定席』なんていう
場所まで設けられているんです。
「阿弥陀如来様がカッコよく見える位置から拝んでください」
という席みたいですよ。
指の先に紐がくくり付けてあります。この紐に参拝者が触れる事によってご本尊と直に接する事が出来るそうです。
本尊の向かって右手にあります不動明王。
左手には毘沙門天がありました。
そんな2つの神様は大きなイラストにもなっていましたよ。
さて、そんな本堂は1186年に
大原問答(おおはらもんどう)が行われた場所としても有名です
※この事から通称『問答寺(もんどうでら)』と言われています。
本堂を別アングルからもう一枚♪紅葉ショットです。
大原の紅葉もそろそろ見納め時ですかね~?
じゃぁ、その大原問答ってナニと言いますと
法然というお坊さんがここで問答をした場所なのです。
法然も同じく延暦寺を離れたお坊さんであり
彼は東山に庵を営み
「念仏を唱える事で救われる」と唱えた浄土宗の開祖です。
※これは当時では新しい考え方だったのですね。
法然の評判は次第に高まり
大原にいた僧たちも興味を持ちました。
十一面十一面観世音菩薩は樟の木の一本造りだそうです。
今年の大河の主役「江」の位牌です。春日局が、江を弔う為に取り付けた擬宝珠(欄干などの柱の上端につける青銅製の装飾)もありました。
鎌倉時代の作である石造宝篋印塔(供養塔)です。
本当に、誰でも念仏を唱えるだけで救われる
どういう事だ
と疑問に思ったお坊さんたちは
勝林院に法然を招いて質疑応答をする事にしたんですね。
本当に極楽浄土に行けるのか
嘘なんじゃないか
どうしてそう思うのだ
300人もの学僧らを含む、多くの聴衆に囲まれ、
念仏(南無阿弥陀仏)を唱えてどうして救われるのだ
という質問を浴びせられますけれど
・・・その全てが法然の説法に感服し
念仏を唱えたという伝説が残っています。
それだけ法然には説得力があったという事なんでしょう。
そんな大原問答の際に
本尊の手から光が発せられ、「念仏が民衆を救うのです」と言われた事から
『証拠の阿弥陀』とも言われているんですよ。
という事で紅葉の勝林院からレポートさせていただきました
場所はコチラ↓
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