こんにちは、京子です。
さて、今日はイベントに行ってきましたよ。
それは・・・
(・∀・)ノかにかくに祭です
祇園を愛した明治から昭和にかけての歌人である
吉井勇(よしいいさむ)を偲ぶ
『花街』のイベントの一つです
吉井勇という人と花街と
一体どういった関係があるのでしょう
今日はそれをご説明しながら、レポートしたいと思います。
まず、この『かにかくに』ってどういう意味なのかと言いますと
祇園を愛した男である吉井勇の残した
ひとつの詩から取られました。
それが・・・
「かにかくに 祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」です。
この言葉が書かれた石碑(かにかくに碑)の前で
本日のかにかくに祭は行われました
ちなみに『かにかくに』は『とにかく』という意味なのです。
つまり、かにかくに碑に刻まれた詩を訳してみると
「とにかく祇園は恋しいんだよね。だって、こうして寝ていても
俺の枕の下からは川の水が流れる音が聞こえてくるよ。」
なんですね。
え川の水ってどういう意味と言いますと
この石碑の向こう側には白川が流れています。
白川に架かる巽橋(たつみばし)
ちなみに、石碑が立っている場所は
祇園白川(ぎおんしらかわ)と呼ばれるエリアで
四条通から鴨川を越えて東へ
そこから少し北上した場所になります。
※詳しくは、記事の最後のマップで確認してみてくださいね♪
この通りは、綺麗な石畳が敷かれて
なんとも京都の風情を感じます。
では、『かにかくに碑』に立っている
こま札を見てみましょう~
ここはかつて、所狭しと
お茶屋さんがあったそうで
中でも
『大友(だいとも)』という店には
夏目漱石などの著名人に加え
多くの作家や画家、詩人が訪れたそうです。
その大友の跡地に、この石碑が建っているんですね!
吉井勇も、その白川の流れる場所に建っていた大友で
芸妓遊びをしていた事から
この詩が作られたのだと予想できます。
ちなみに、吉井勇っていったいどんな人物だったの
と言いますと
薩摩藩士の孫であり、海軍軍人の父を持つ彼は
1886年に東京で生まれます。
その後
与謝野晶子や石川啄木、北原白秋などを輩出した
新詩社(しんししゃ)に席を置き
若手の歌人として注目を集めます。
1909年に北原白秋らと文芸誌「スバル」を創刊したんですね
隠居後は京都・祇園へ移り住みます。
そんな彼の功績を称え1955年11月8日に
大正から昭和中期にかけて活躍されていた小説家である
谷崎潤一郎らによって『かにかくに』の石碑が建てられました。
・・・吉井勇はその5年後、京都の地で他界する事となります。
こういった理由から毎年11月8日に
石碑の前で、舞妓・芸妓による献花を行っているのです
当初は粛々と行われていたものだったそうですけれど
いつしか
「舞妓さん芸妓さんが生で目の前で見れる!」という事から
近年はかにかくに祭の見物客が増えたんですよ
さて、朝の11時に『かにかくに碑』の前に行くと
報道の方に加え、手にカメラを抱えた方でいっぱいです
そして、いよいよ
関係者の方に加え
舞妓&芸妓さんが登場!!!!!!!
いっせいにフラッシュが焚かれます~っ
今回は肖像権の問題で、舞妓さん、芸妓さんのお写真は
掲載していません。ご了承下さい
ちなみに、かにかくに祭は毎年
京都の五花街のひとつである
祇園甲部(ぎおんこうぶ)の方たち主導によって行われています。
※五花街とは『祇園甲部』『先斗町』『宮川町』『祇園東』『上七軒』です。
そして、全員の献花と合唱が済み、その後
石碑の前で集まったみなさんの為に
ちょとした撮影会が始まります
時間にして30分足らずのイベントですけれど
こんなに人が押し寄せるなんて・・・
(・∀・)ノやっぱり舞妓&芸妓さんたちの人気はスゴいですね~。
そんな『かにかくに祭』が行われた場所はコチラ↓
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