こんにちは京子です!
さて、本日にはまたまたお祭りーーっに行って来ましたよ
狛犬ならぬ、「狛猪」がいる事で知られている
護王神社(ごおうじんじゃ)で行われた・・・
亥子祭(いのこさい)です
※護王神社に関しては護王神社 その1、護王神社 その2の記事をご覧下さい
さて
この亥子祭は、一体どんなお祭りなのかと言うと
京都御所の年中行事として行われていた
「玄猪の式(げんちょのしき)」
これを再現したお祭りなんですね。
じゃぁ、じゃぁ・・・玄猪の式っていったい何?
と、言いますとーっ
時は平安時代・・・
天皇自らがお餅をついて、それを皆に振舞い
無病息災を願う行事でした
天皇自ら、お餅をついて、それを振舞うとは・・・
なんてありがたい儀式なのでしょう
ちなみに、その餅こそが
亥子餅(いのこもち)と呼ばれるモノなんです
写真の猪子餅は当日販売されていたモノで、
もともとは、寒いときに猪のお肉を食べると体が温まり万病に効くけれど
殺生は良くないから、猪をかたどったお餅を作っちゃおう
ということになったみたいです
という事で、今回レポートする亥子祭では
当時の様子をイメージしながら読んでみてくださいね。
夕方5時、京子は護王神社に到着っ
ちなみに、かつて皇居であった京都御所から
この護王神社は目と鼻の先ですよ~。
到着すると既に人で賑わっているゾーンがあり
覗いてみると・・・
皆さん手を清められていました
清めた後はいよいよ
亥子祭の始まりはじまり
さて、これから何が行われるのかと言うと・・
(・∀・)ノ天皇さんに扮する宮司さんが、この舞台でお餅をつくんですね
まずは、亥子祭の儀式のお手伝いをする
奉仕女房(ほうしにょうぼう)と呼ばれる女性をお祓いする所から始まります。
奉仕女房
お祓いの後、唱和(しょうわ)へと続きます。
だいたい五分ほど低頭したのち
いよいよお待たせしましたっ。
天皇の下へ奉仕女房によって
お餅をつく為の臼(うす)や杵(きね)など様々な道具が運び込まれます
これから、お餅をつくんですね♪
ちなみに、亥子祭では三種類の猪子餅がつかれます。
胡麻(黒)
小豆(赤)
栗(白)
どうして、3つに分かれているのかと言いますと
当時は身分によって天皇から賜る餅の種類が分かれていたからなんですね~。
公卿などには黒を、殿上人には赤
それ以下には白という順になっていたようです。
という事でさっそくお餅をつき始めます
皆さん運び込まれた道具がどう使われるのか気になるみたいで、固唾を呑んで見守っています。
ちなみに、どうして亥子餅(いのこもち)っていうの
と言いますと
旧暦の10月である亥の月、亥の日、亥の刻(午後10時頃)に食べるところから
その名がついているんです。
(・∀・)ノなので、現在は、この11月1日に猪子祭が行われるんですね~っ
と、いう事でいよいよ亥子餅の完成ですっ
これをもって、皇居であった京都御所へと
献上しに行くのです。
お餅をつきおえた頃には、お月様が夜空に輝いていました
いざ御所へ
と、護王神社を出発したご一行~
冒頭でも、護王神社と御所は目と鼻の先と言いましたけれど
京都御苑の蛤御門へは距離にして数十メートルほど
午後7時くらいに蛤御門を通過し闇夜の御苑を提灯の灯りだけを頼りに歩きます
フラッシュをたいても暗いです
一団は無事、清所門(せいしょもん)に到着した後
中で待っている宮内庁の方々に亥子餅を献上します
そして行きと同じく
蛤御門を経由して
護王神社にみんなで帰ってくるんですね~
境内では、参拝者におでんや亥子餅が振舞われ
役目を終えた舞殿は静かにその様子を見守ります
奉仕女房の記念撮影をしていたので
京子もパシャリと撮影してきました
この後も宴はまだまだ続きそうでしたけれど、
京子は一足先に護王神社を後にしました
そんな護王神社の場所はコチラ↓