こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介する神社は・・・
幡枝八幡宮(はたえだはちまんぐう)です。
創建されたのは、894年。
かつて、この地にあった幡枝村(はたえだむら)の守護を目的として建てられました。
ん?守護?
どういう事なのか解説していきたいと思います。
(・∀・)ノ
この年には
「朝鮮半島から、新羅(しらぎ)が攻めてくるんじゃねぇか・・・?」
と、日本では噂されていたのですね。
そんな中・・・
「ワシが、この地に住む人や天皇を守る。幡枝村に社を作り、ワシを祀るのである!」
という神託が、『八幡三神』より降りたのですね。
狛犬の口の形は、もちろん『阿(あ)』と
『吽(うん)』になっています。
さて、八幡神とは、応神天皇(おうじんてんのう)の神霊の事であり
比売神(ひめがみ)、神功皇后と併せて
八幡三神と言われています。
八幡三神から降りてきたこの神託によって
幡枝八幡宮が建てられ
現在でも、応神天皇と神功皇后が
祭神として祀られています。
こちらは、拝殿になります。よーく見ると2つあるの分かりますか?
別アングルから、もう一枚♪
向かって右手が幡枝八幡宮の拝殿です。
左手は、摂社である貴船社の拝殿になります。
神功皇后と言えば、三韓征伐(さんかんせいばつ)を行った
女性でありながら戦に長けた皇后でした。
日本書紀によれば、その昔、
神功皇后は三韓征伐を行い、新羅・高句麗・百済を攻め立て
降伏させたと記されています。
そして、その三韓征伐の際には、お腹に子供を宿しながらの
戦いだったんですが
その子供こそ・・応神天皇なんですね!
妊婦でありながら戦をしていたというワケです。
※この際に、お腹を撫でて安産祈願した月延石(つきのべいし)が月読神社(松尾)にあります。
拝殿の向いには、舞殿があります。
その舞殿には八幡宮と書かれた額がかけてありました。
このような歴史があったからこそ
「新羅が攻めてくるんじゃねぇか・・・」というピンチの際に
かつて新羅を降伏させた
神功皇后と、その子供である応神天皇による
神託を受け入れ
この地に幡枝八幡宮が建ったという事です。
さて、最後にご紹介したいのが
こちらも末社のひとつ『針神社』です。
毎年、12月8日にはここで『針供養』が行われる事で知られています。
この針神社は金属の神様で知られる金山彦神が祀られていているんですね。
※そういえば御金神社も金山彦神が主祭神として祀られていますよ♪
針供養では、使いふるした針や
折れた針などを供養しています。
手芸をお仕事にされている方などは、一度行かれてみてはいかがでしょうか?
そんな幡枝八幡宮の場所はコチラ↓
大きな地図で見る