こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介するのは、ある人のお墓です。
それは・・・
寺田屋の女将『お登勢(おとせ)』のお墓です。
幕末の『おっかさん』と言えばこの人しかいませんっ。
龍馬の定宿であった寺田屋。
そして龍馬の妻である、お龍が働いていた宿でもあります。
その女将が・・・お登勢なんですね
お登勢のお墓は、大黒寺の斜め向いにある松林院の境内にあります。
お登勢は、滋賀県の近江大津で経営していた
旅館の次女として生まれます。
そうなんです、実家がすでに旅館をされていたんですね~。
そして、18歳の時に、寺田屋の6代目主人『伊助』と結婚。
この時に、京都の寺田屋にやって来る事となるんです。
こちらが、その寺田屋です
しかーし、この旦那さんが、なかなかやっかいな人で
毎晩呑みに歩き、妾を作り
宿の経営はそっちのけで、遊びまくる毎日・・。
なので、ご主人に代わり
お登勢さんが寺田屋を切り盛りしていたんですね♪
そんな寺田屋を重宝して使っていたのが
西郷隆盛で有名な、あの薩摩藩だったんですね~。
※寺田屋の近くにも薩摩藩邸があったそうですよ。
ちなみに、寺田屋(お登勢)は
薩摩藩から大変信頼されていたそうで
「脱藩して来た龍馬を幕府の目から守るには、お登勢さんに頼むしかない!」
と、考えたそうですよ♪
こういった経緯から薩摩藩は
脱藩した坂本龍馬に寺田屋を紹介するんですね♪
ここで、龍馬は女将のお登勢と出会います。
寺田屋には、反幕府勢力である勤皇の志士が度々泊まっていたようです。
でも普通だったら、
「面倒みていたら、自分もいつ幕府に命を狙われるか・・・」
なんて思っちゃいますよね。
そこは、世話好きなお登勢さん。
なんと、お金が無くても泊めてあげていたって言うんですから
( ´Д`)肝っ玉座りまくってます(汗)
※実際に、幕府からも、危険人物という事で牢屋に入れられそうになった事もあるそうです。
寺田屋提灯。今でも寺田屋での宿泊は可能だそうですよ。
ちなみに、龍馬がお登勢さんに宛てた手紙の多くには
頼み事と泣き事が多く書かれていたそうです。
そんな手紙にも、イヤな顔ひとつせずに
ニコニコしながら了解しているお登勢さんの姿が
目に浮かびますよねっ♪
ちなみに、昨日もご説明しましたけれど
この寺田屋では幕末に大きな事件が2度起きています。
1862年 薩摩藩の同士討ちである寺田屋騒動(てらだやそうどう)
1866年 坂本龍馬が伏見奉行所に襲われた寺田屋事件(てらだやじけん)
ですよね。
しかも、この間には旦那さんと死別もしています。
にも関わらず、こうして寺田屋を潰す事なく
現在まで続く老舗旅館として守ったお登勢さんってすごいですね♪
そんなスゴいお登勢さんはなんと・・・
(・∀・)ノ神様にまでなっているんです!!
寺田屋のお庭には『お登勢明神』と呼ばれる
小さな祠と鳥居があります。
龍馬とお龍の仲を取り持った事から
良縁成就のご利益があるそうですよ~
そんなお登勢さんのお墓のある松林院の場所はコチラ↓
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