こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介するお寺は・・・
勧修寺(かじゅうじ)です。
場所は京都の山科になります♪
同じく、山科には大石神社や、折上稲荷神社、などがありますよ。
『かんしゅうじ』呼ばれる方もいますけど、正式名称はかじゅうじと言います。
この辺りの地名を勧修寺と書いて『かんしゅうじ』と読む事から混同されるようです。
さて、この勧修寺は900年に醍醐天皇により創建されました。
母親である、藤原胤子(ふじわらのいんし・たねこ)を弔う為に建てられたんですね。
勧修寺と名付けられた理由は
醍醐天皇の外祖父であった藤原高藤(ふじわらたかふじ)の諡号(今で言う戒名)から
取られたんですね♪
さて、ここで、『今昔物語集』にも記されている
あるラブストーリーをご紹介したいと思います。
舞台は、この山科。
主人公は、外祖父であった藤原高藤と
後に彼の奥さんとなる宮道列子(みやじのつらこ・れっし・たまこ)です
宸殿になります。江戸時代、明正天皇(女帝)の御殿を移築したものです。
こちらは偃柏槇(はいびゃくしん)。樹齢は700年。これって複数の木が生えているように見えますけど一本木なんですよねっ。
水戸光圀(水戸黄門)から寄進された『勧修寺型灯篭』。水戸灯篭、雪灯篭とも言われます。
公家である藤原高藤は、タカ狩りが趣味でした。
そんなある日、タカ狩りの場所に選んだのがこの山科という場所でした。
しかし、そんな時、生憎の雨が・・・。
「せっかくタカ狩りに来たのに、これは大変だ。どこかで雨宿り出来ないものか・・・。」
そんな時に、偶然にも訪れたのが
宮道弥益(みやじのいやます)の屋敷でした。
この屋敷の跡地に、現在の勧修寺が建つ事となります。
当時、宮道弥益はこの山科に配属されている地方官の一人だったんですね。
宮道に勧められるまま、接待を受ける藤原高藤。
最初は戸惑いながらも・・・彼にもてなされ
一泊する事になりました。
そんな時、出会ってしまったのが・・・
宮道列子だったんですね。
弥益の娘である列子に一目ぼれしちゃった藤原高藤。
一晩泊まった挙句に、ななななんと列子と
一夜限りの関係を結んでしまうんです
こちらは本堂です。中には本尊の千手観音像があるんですよ。
弘法大師像です。天才といわれる高僧・・・あの空海の像がありました♪
こちらも空海でしょうか、よく見るとお姿が同じです。
素敵な一晩を過ごしちゃった藤原高藤。
しかし、以後、列子と連絡を取る事はありませんでした。
「彼女はもう結婚しちゃったのかなぁ」なんて考えたりする事もあったでしょう。
月日は流れ、それから6年後。
2人はばったり再開する事となります!
しかし、藤原高藤はその時衝撃を受けます。
そうなんです。
案の定、列子にはすでにその時、娘がいました・・・。
落胆の様子の藤原高藤。
やはり、結婚してしまわれたんですね、と問いかけたその時
列子は言います。
「違うんです。アナタとの・・・子供なんです・・・。」
え・・・?
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
ちなみに、この娘さんが、宇多天皇の奥さんの一人であり
醍醐天皇の生母となる藤原胤子(ふじわらのいんし・たねこ)なんですね!
と、いう事で藤原高藤と列子は6年の月日を経て結婚するんです
観音堂です。ちょうど扉が開いていました。観音様がみなさんにも見えますでしょうか?
境内には広大な氷室池があります。睡蓮が水面を覆いつくすように咲いてる。
こちらが境内のマップになります♪氷室池の大きさがわかって頂けると思います。
池をぐるっと時計回りに歩くと、こちらの朱色のお堂が見えてきました。弁天堂です。
さてさて。
写真からもわかるように、勧修寺は
氷室池を中心とした池泉回遊式庭園です。
その昔は、この池に出来た氷を宮中に献上していたそうなんです。
冷蔵庫もない時代ですからね。
この事から、氷室池と呼ばれるようになったそうですよ♪
そんな勧修寺の場所はコチラ↓
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