こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介する神社は
日本で唯一の『頭と髪の神社』と言われている・・・
御髪神社(みかみじんじゃ)です。
場所は、嵐山・嵯峨野エリアになります。
百人一首で有名な小倉山のすぐ麓♪
紅葉の名所でもあります。。
※百人一首に関しては常寂光寺の記事をご覧下さい。
主祭神は、日本で最初の『髪結い』と言われている
藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)です。
この事から、全国の理容師・美容師さんらの参拝も多いそうです。
髪の毛にご利益のある神社ですので
「最近、髪の毛が薄くなってきたなぁ・・」と、悩んでいる方までお参りに来られるそうですよ。
さて、その藤原采女亮政之ってどんな人だったのでしょうか?
その前に、彼のお父さんである藤原晴基からお話をしていきましょう~♪
お父さんの晴基は京都で、宮中の宝物係として仕えていました。
時は鎌倉時代。ちょうど、亀山天皇の頃のお話です。
そんな藤原晴基は、亀山天皇から預かっていたとーっても大事な宝刀を
なんと・・・紛失してしまうんですね(汗)
これに怒った亀山天皇は、藤原晴基をクビにしちゃいます。
額には『御髪神』の文字が書かれています。
「どうしよう・・天皇様より預かった大事な刀を・・大変な事をしてしまった・・。」
大事な宝刀を失くしてしまった事に責任を感じたのか
藤原晴基の息子達までもが、この宝刀探しに協力するんですね。
長男は、反物商人(たんものしょうにん・着物の生地なんかを売る人)になり
そして、次男は染物師となり、お父さんの失敗を取り返すべく
京都で宝刀を探す事となります。
なんて、すばらしい親子愛。
さて。そこで、登場するのが
晴基の三男であり、この御髪神社の主祭神でもある藤原采女亮政之です
政之は、父親について、諸国を歩き回り十数年もの間、一緒に宝刀を探したんですね。
その結果、行き着いたのが・・本州最南端の下関です。
こちらが拝殿になります。
櫛の形の絵馬です。裏側には髪にまつわる、お願いごとがぎっしり。『髪が生えてきますように』なんてのも、もちろんあります。
どうして下関なのか?と言いますと・・
当時、鎌倉幕府は蒙古の襲来に供え、下関に大勢の武士を集めていたんですね。
※蒙古とは、モンゴル帝国の事で、当時の日本はモンゴル軍の侵略の危機に直面していたのです。
大勢の武士が集まる下関。
つまり、刀が沢山集まってくるという事は
・・・もしかすると、失くしてしまった宝刀が見つかるかもしれない!
藤原晴基・政之ファミリーには、こんな考えがあったようです。
しかし、息子の政之は
「宝刀を探すのもいいが、生きていくには金もかかる。」
「お父さんの暮らしを少しでも楽にしてあげなきゃ!」
という事で始めたお仕事というのが・・・
(・∀・)ノ女性の髪を結う事だったんですね!!
ちなみに、これが日本最初の理容業と言われています。
評判は大変よく、下関では髪結所まで設けたそうですからスゴいの一言。
その後、鎌倉に移住し、幕府御用達の髪結師とまでなったそうです。
髪塚です。願い事をしながら切られた髪を奉納するとご利益があるんですって♪
この像は毘沙門天だそうです。
当時はもちろん珍しい『髪にまつわるお仕事』で貢献した政之は
死後、その功績により従五位まで賜まる事となります♪
そして、亀山天皇陵からも程近いこの場所に祀られたんですね。
※亀山天皇陵は天龍寺にあります。
のぼりにある『御髪会』とは御髪神社を支援する会だそうです。
リーブ21など、髪に関する会社などの名前もありましたよ♪
ちなみに、政之の子孫は
家康の髪を結った事をきっかけに、江戸で髪結所を開く事にもなったんですって♪
こういった経緯があり
髪結所には、『床の間』が作られ、そこに亀山天皇と藤原家を祀る祭壇が置かれていました。
これに加え、江戸時代には
住居を兼ねない、簡略化された店や、移動できる店を『床店』などと呼び
床店で営業している髪結所を髪結床(かみゆいどこ)なんて
呼んでいた事が起源となり
理容師さんの事を『床屋(とこや)』と呼ぶようになったんですね♪
という、事で今日はとても珍しい髪にまつわる神社を
ご紹介させていただきましたけど
結局、亀山天皇から預かっていた宝刀は見つける事が出来たんでしょうか??
(・∀・)ノご存知の方がいましたら教えて下さい。
そんな御髪神社の場所はコチラ↓
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