こんにちは、京子です。
さて本日ご紹介する神社は・・
濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)です♪
さて、場所はドコにあるのかと言いますと
知恩院の境内、徳川二代将軍秀忠の長女である千姫のお墓の奥側になります。
※徳川幕府と知恩院の関係に関しては『知恩院』の記事をご覧下さい。
(・∀・)ノさて、さて。
ではどうして『濡髪大明神』と名付けられる事になったのでしょうか?
時は、江戸時代初期。
知恩院は1633年に起こった火災により、多くのお堂を焼失してしまうんですね。
そこで、登場するのが三代目徳川家将軍である『家光』
彼は、再建の為に8年の歳月をかけて知恩院を倍の規模へと造営するんです!
その際に建てられたのが『御影堂』です。
もちろん現在も、知恩院の中心的お堂として健在しています。
さて、無事に再建された知恩院。
当時の住職である霊厳(れいげん)というお坊さんが説法をしていた
ある雨の日に事件は起きます。
ふと、お堂の外を見ると・・雨にずぶ濡れになった
ある一人の男の子を見つけました。
シクシクと泣いていたんですね。
霊厳は訪ねます。
「どうしたんだ?こんな雨に濡れて、迷子にでもなったのかい?」
しかし、泣きじゃくる男の子
そして、ようやく口を開いたと思うと・・・
(・∀・)ノびっくりするような事を話し出したのです!!
『濡髪大明神』と書かれた提灯。
なんと、その男の子。
実は、知恩院が倍の規模へと造営された為に棲みかを失った
白狐(びゃっこ)の化けた姿だったのです
白狐は、棲みかを失われた腹いせに、住職を懲らしめてやろうと
御影堂へとやって来たが
説法を外から聞いているうちに
「自分は・・なんて酷いことしようとしたんだ」と思い涙を流していたんですね。
これからは知恩院を火から守るとまで約束したのです。
それを聞いた、霊厳はひとつの傘を貸してやります。
そして、この白狐の為に裏山に寝ぐらを作り、祠を建ててやったのが・・・
この濡髪大明神の始まりなんですね~。
霊厳は、その童子を『濡髪童子』と名付けて祠に祀ったんです。
ちなみに、知恩院の御影堂の縁側の屋根には
こんなものがあります。
『忘れ傘』です。
これは、霊厳がその時貸してあげた傘で、お礼を言って傘を返しに来たと言われています。
※この傘に関しては、別の説もありまして、伝説的な彫刻職人である左甚五郎(ひだりじんごろう)が火災からお堂を守る意味で置いていったとも言われています。
どちらにしても・・・
火災から守るという意味で、水や雨を連想させる傘が置かれていたんですね~!
濡髪大明神のおみくじをパシャリ♪
さて、コチラもご紹介しておきましょう。
冒頭でもご説明した
徳川二代将軍秀忠の長女である千姫(せんひめ)のお墓です。
お母さんは、現在放映中の大河ドラマの主人公『江(ごう)』ですよ~。
秀忠と江の間に、長女として生まれた千姫。
当時・・・天下を取ろうとしていた徳川家と
天下を取らすまいと、豊臣家への忠誠を誓わす為に、幼くして千姫を輿入れさせたんですね。
秀吉の嫡男である秀頼と結婚した千姫ですけど
みなさんご存知の通り、大坂夏の陣により大坂城は落城。。
※千姫については知恩院の記事をご覧下さい。
千姫は大坂城から救出される事となります。
その後は江戸に戻り、徳川家臣のひとり、本多忠刻と再婚しますが、それも死別。
結局、最後は出家し、尼となり余生を過ごしたとの事です。享年70歳。
さて、そんな濡髪大明神ですけど、
実は縁結びの隠れたスポットでもあるんですよね
この『濡髪(ぬれがみ)』という言葉が
ちょっとセクシーで艶っぽい響きだから・・という理由があるそうですよ~。
場所がら、祇園の舞妓さんも縁結びに訪れるスポットのひとつでもあります♪
そんな濡髪大明神の場所はコチラ↓