こんにちは、京子です。
さて本日ご紹介するのは、お寺は
こぬか薬師です!
正式名称は薬師院(やくしいん)と言います。
さて、一味変わったお名前である『こぬか薬師』は
こちら薬師院のご本尊の事を指しているんですね♪
この、こぬか薬師を彫ったと言われているのが
天台宗の開祖で、あの平安時代の高僧と言われる最澄(さいちょう)です。
※彼は、弘法大師・空海とともに遣唐使として唐に渡った事は有名ですよね♪
そんな最澄が、一刀三礼し彫ったといわれている薬師如来像が、こぬか薬師なのです。
※一刀を彫るごとに三度礼拝するという事です。丁寧に心を込めて彫ったというのが伝わってきます~
このこぬか薬師は、延暦寺のあった比叡山から、美濃の医徳堂寺を経て
織田信長の勧請によって、現在の薬師院に移されたと伝わっています
ちなみに、このご本尊がご開帳になるのは、毎年10月18日です★
では、では・・・どうして『こぬか薬師』なんて呼ばれるようになったの?
と、言いますと
時は鎌倉時代。
1230年に京都で疫病が大流行し、多くの人が苦しんでいたそうです。
そんな時、当時の薬師院の住職の夢に出てきちゃったのが
・・・ご本尊の『こぬか薬師』だったのです。
夢の中で、こぬか薬師は住職に伝えます。
「住職よ・・・病気の人たちへ伝えなさい。わたしの前に来れば、その病気を取り除きましょう。さぁ、来ぬか、来ぬか。」
これを聞いた住職は、世間にこの事を広めると
たちまち参拝者たちがお寺に集まります。
そして、祈願する事によって見事に病気が治ったと言われています~っ。
こぬか薬師の言った「来ぬか(こぬか)、来ぬか(こぬか)。」という言葉から
ご本尊の事を、こぬか薬師と言うようになったそうです
その後、境内では、薬の市が行われるようになり、薬草・薬種などの売買が行われていました。
こぬか薬師の近くを通る、二条通り沿いには今でも多くの薬局が立ち並んでいるのは
この時に起因するそうです♪
※この他の説として、女性の赤色した布で出来た髪飾りである鹿子(かのこ)を使った結髪(舞妓さんがしているような髪型ですね)をした参拝者が多かった事から『かのこ薬師』と呼ばれ、それがいつしか『こぬか薬師』と言われるようになったとも言われています。
境内の手水鉢をパシャリ♪
そして、
こぬか薬師は1日1組限定で宿坊(しゅくぼう)も利用出来ちゃいます!
宿坊とは・・・
本来は修行中の僧侶が寝泊りをする建物で、
江戸時代になると大衆化し、一般の参詣者や観光客が宿泊出来るようになった施設の事です。
こぬか薬師の住職の方は、以前、萬福寺(まんぷくじ)におられたそうで
宿坊では中国の精進料理(普茶料理)が食べられるとの事ですよ~♪
ちなみに普茶料理に欠かせない『胡麻豆腐』は宿坊を利用しなくても食べられるみたいです★
※普茶料理に関しては萬福寺の記事を是非、ご覧下さい。
宿坊をご希望の方は
是非、ご予約して行かれてみてはいかがでしょうか?
ちなみに、疫病から多くの人を助けた『こぬか薬師』でしたけれど
幕末には、蛤御門の変により境内は焼失したそうです。
ちょうど激戦地であった京都御所の蛤御門からも近いですからね。。。。
しかし、昭和になり
五摂家のひとつである近衛家(このえけ)や
財閥のひとつである三井家の保護を受け
境内は無事に再建されたという事です~
そんなこぬか薬師の場所はコチラ↓