こんにちは、京子です
今日は、京子ブログを読んで頂いている皆さんならもうご存知の
祇園祭の最終日にして、最後の神事が行われた日ですよね。
疫神社夏越祭へと行ってきました。
初めて京子ブログを訪れて頂いている方にご説明させて頂きますと
祇園祭は、17日に行われる巨大な山や鉾が動く「山鉾巡行」だけじゃないんです。
実は、八坂神社のお祭で7月1日から始まり今日31日に本当の意味で祇園祭は終わりを迎えるんですね。
そして、祇園祭ではきっても切れないキーワードがあるんですよ~
「蘇民将来(そみんしょうらい)の子孫なり」
これは、昔むかしある所に兄の名を「蘇民将来(そみんしょうらい)」
弟の名を「巨旦将来(こたんしょうらい)」という二人の兄弟がいました。
兄の蘇民将来は「貧しく」、弟の巨旦将来は「裕福」だったのにも関わらず
ある晩、武塔神(むとうしん)という神が一夜の宿を求めてきたときに
弟は断り、兄は快く迎えいれました
兄は貧しいながらもおもてなしをし、それに感動した武塔神は
「我は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、
蘇民将来の子孫だと言い茅の輪を腰の上につけていれば、
後世に疫病あれど蘇民将来の子孫は免れるであろう」
と教えたといいます。
噂では、弟の将来一族をことごとく滅ぼしたとか
また、祇園祭のちまきでも
「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」という文字が使われるようになりました。
では、実際にどんなイベントが行われたのかを見ていきましょう
場所は、もちろん八坂神社です。
西側の楼門から入ると真正面にある神社「疫神社」にて行われました。
この鳥居に、既にタイトルの「夏越」という言葉からピンッと来ている方もいらっしゃるかも知れませんね
そうです。
大きな茅の輪がこの鳥居にかけられているんですね。
これは、先にご説明した蘇民将来のお話から
人が通れるくらいの大きな茅の輪を潜って無病息災を祈るようになったんですね
この茅の輪くぐりは疫神社だけの神事ではなく
6月末には京都のいたる所で行われるんですよ。
御誕辰祭 大茅の輪くぐり(北野天満宮)
いよいよ京子の順番が回ってきたのですけれど
あれれ去年と何か違うことないですか♪
去年は、「蘇民将来之子孫也」という護符はありませんでしたよね。
さて、通常の茅の輪であれば
「左→右→左」という順番で潜るんですよね~
でも、疫神社で左側に行こうとすると道がないので
右に抜けちゃいます。
そんな道中にあるのがコチラ
茅(ちがや)」という、手のひらサイズの茅の輪つくる為の草があるので
それを1本頂いちゃいます
去年も、並んでいる間に1本…また1本と、そしてぐわしと減って行くので
内心どきどきしていたのですけれど
今年もまたぐわしぐわしと減っていくのでどきどきでした
今年も、この楽器で雅な音が奏でられていましたよ
そして、去年は茅の輪の作り方が解らなかったので苦労しちゃいましたけれど
今年は、去年よりも上手に仕上げられたと思います
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輪っかを作り終わった後は、また「蘇民将来子孫也」という護符を頂いて玄関先に飾りたいと思います。
玄関先に飾る理由は
素戔嗚尊にわかるように
「私の家は、蘇民将来の子孫ですよ~」
と、「疫病を祓って下さいな」とアピールするんですよね
これで、疫病ともおさらば出来て
一ヶ月越しのきゅうりのQちゃんも食べられて
夏を元気に乗り越えたいと思います。
そんな、祇園祭のとりを勤める疫神社の場所はコチラです↓
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