こんにちは、京子です。
さて本日ご紹介する神社は・・・
染殿院(そめどのいん)です♪
地元の方からは、『そめどのさん』などの愛称で呼ばれています。
場所はドコかと言いますと
修学旅行生などでも賑わう、新京極通り(しんきょうごくどおり)にあります~
さて、こちらのお寺は、『子宝・安産』のご利益があるんですね。
その理由はと言いますと・・・時は平安時代!
文徳天皇(もんとくてんのう)の奥さんである
藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)が
このお寺の本尊である染殿地蔵(そめどのじぞう)に
「どうか子供を授けてくださいっ。」とお願いしたところ
見事、懐妊し元気な男の子を産んだ事から、ご利益があると言われているんですね♪
※この文徳天皇と藤原明子は『政略結婚』とも言われ摂関政治が始まりました。詳しくは『櫟谷七野神社』の記事をご覧下さい。
鎌倉時代には、『踊念仏』で有名な一遍上人が、洛上の際、染殿院に入り、都の各地で踊り念仏を行なったそうです。踊念仏の関しては『長楽寺』の記事をご覧下さい。
こちらが本堂になります。
染殿院の沿革が丁寧に説明されていました。
ちなみに、この結婚からも分かるとおり
この頃から藤原氏が他の有力豪族を失脚させ藤原氏以外の力をどんどん削いでいっちゃうんですね
いわゆる『他氏排斥(たしはいせき)』です。
藤原氏は次々に、自分達の娘を天皇のお嫁さんにさせて
自分達は外祖父(がいそふ・母方のおじいちゃん)として
自分の息のかかった孫を育てあげては、天皇にしていたんです。
ちなみに、その藤原明子に見事、子供を授けた染殿地蔵は
高さ2メートルの立ち姿の木彫りのお地蔵さん。
もちろん、現在も堂内にあるそうで
是非、見たかったんですけど
なな・・・なーんと
一般公開は50年に一度なんですって(汗)
ご本尊が、染殿地蔵と呼ばれています。
安産のご利益がある事から、絵馬もこの通り、可愛らしい赤ちゃんが描かれています。
これからも分かるとおり、染殿院の歴史は深く
平安時代の名僧、弘法大師『空海(くうかい)』によって808年に創建されたと言われています。
ちなみに創建当初は空海が十住心論(じゅうじゅうしんろん)と呼ばれる著書を著した場所だったことから
『十住心院』と呼ばれていました。
その後、染殿院と呼ばれるようになった理由としては
無事に懐妊し出産できた藤原明子が『染殿』と呼ばれる邸宅に住んでいた為に
染殿后(そめどののきさき)と呼ばれ
そんな彼女がお祈りをしたという事から、染殿院と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、染殿院は、その名前から地元の染色業者の方からも信仰を集めています。
どうしてかと言うと、染殿院という名前の由来のひとつに、
梨木神社にあります『染井の水(井戸)』から付けられたとも言われていて
この染井の水は、貴族の染物の為に使う水として使われていたんですね♪
繁華街にあるお寺ですが、一歩入るととても静かです。安産や子宝のご利益から参拝者はやはり、女性の方が多いそうです。
境内はL字型になっています。入り口から参道に沿って進むと、有名な創業130年の甘栗屋『林万昌堂(はやしまんしょうどう)』の店内に通じているんですよ。
ちなみに、藤原明子が産んだ子供は、みなさんご存知の・・・清和天皇(せいわてんのう)ですよね!
彼の子孫が、あの武家『源氏(げんじ)』の中でも有力な武士を輩出した清和源氏(せいわげんじ)と呼ばれています。
清和源氏にはどんな人たちがいたのかと言うと
鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)!
室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがのたかうじ)!
う~ん、そうそうたるメンバーですよね
2人は、征夷大将軍の称号を朝廷より受け、幕府を開くんです。
ちなみに、徳川家康も江戸幕府を開く際に、征夷大将軍の称号を受けますけれど
彼の場合は、徳川家の家系図を書き換えてまで『清和源氏』の末裔になっちゃった話は有名ですよね♪
そんな清和天皇が生まれるきっかけになった染殿院の場所はコチラ↓
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