午前中に、花笠巡行が終わった後
17時からは
還幸祭が行われました
※午前中に行われた神事については『祇園祭 2011 花笠巡行(八坂神社)』をご覧下さい。
還幸祭とはその名の通り『還るお祭』なんですね
この17日から24日の間に、八坂神社にお参りをして、誰とも口を聞かずに、その足でお旅所に参る。
というのを七回半繰り返す「無言参り」をすれば願いが叶うと言われています
この他にも、お旅所に神様が7日間宿泊されることから
その間に誰とも言葉を交わすことなく
お旅所を七夜お参りすれば願いが叶う。
とも言われているんですよ
祇園祭の神幸祭がつい昨日のことのように感じられます。
※『祇園祭 2011 神幸祭(八坂神社)』の記事をご覧下さい。
さて、本日の還幸祭を見ていきましょう。
午後17時頃に京子がお旅所に到着すると
往来が出来ないのほどの人!人!!人!!!です。
到着して、まもなく
あの声が聞こえてきましたよっ。
ホイットー
ホイットー
リズミカルに流れるあの独特の音頭は
間違いなくお神輿音頭ですよね。
そわそわしながら視界に入るのを待っていると…
ナント!取っ手のような物を
シャカシャカ鳴らしながらやってきました
これは、神輿を担ぐ為の長~い木の先端に取り付ける金具なんです。
こういった金具によって、神輿を揺らすとシャカシャカと鳴るワケなんです
さて、いよいよ三基の神輿がお旅所から出てきます。
先に出てくるのは、やっぱり中御座神輿(なかござみこし)
・・中御座神輿って何だっけ
と、なってしまった人もう一度復習しちゃいましょう
八坂神社の主祭神でもある「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を奉祀しているのが
「中御座神輿」なんです。
『祇園祭 2011 神幸祭(八坂神社)』の記事にもう少し付け加えると
以前はこの三若神輿会(さんわかしんよかい)と呼ばれる人たちが、三基全ての神輿を担いでいたそうなんですけど
近年は中御座神輿のみ三若神輿会が担いでいます。
※三若は、以前にもご紹介しました神泉苑の南にある三条通界隈の地主さんの団体なんだそうです。
屋根に鳳凰、そして六角形の神輿が特徴なんですよ。
そして次に出てくるのは、「櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)」を奉祀している
「東御座神輿(ひがしござみこし)」です。
東御座神輿は、神輿を担ぐ技術では他の2つの神輿会の追従を許さぬと言われている「四若神輿会(しわかしんよかい)が担いでいます。
こちらは鳳凰ではなく、擬宝珠(ぎぼうしゅ)です。ちなみに、日本武道館のてっぺんについているのも擬宝珠なんですよ~。
※四若は京阪電車の三条駅付近の住民の方々が中心なんだそうです。
そして、トリを務めるのは、素戔嗚尊と櫛稲田姫命の子にあたる「八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)」の
「西御座神輿(にしござみこし)」です。
こちらも素戔嗚尊おなじ鳳凰なのですけれど、神輿の形は八角形なんですね。
※この西御座神輿は京都の台所としても有名な「錦市場(にしきいちば)」の人々で構成されています。
これら三基は、それぞれ別のルートを通り、八坂神社へと帰って行きます。
しかし、どの神輿もが必ず通る場所と言うのがありまして
そのひとつが・・
四条烏丸の交差点を南へ下がった所にあります
「大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)」です
江戸時代の祇園祭では、八坂神社を出た神輿は神泉苑を経由し、この大政所に、中御座神輿と西御座神輿が置かれていた場所なんですね。
※ちなみにもう一基は、かつてドコにあったのかと言いますと烏丸丸太町にあります少将井跡と呼ばれる場所で、現在は京都新聞社が建っています。
しかし、この大政所から秀吉の命により四条寺町あります現在のお旅所へ移されたという事です。
この後、約2時間ほどをかけて町内を廻り
八坂神社に戻った後
神輿から本殿へ祭神を移す「御霊遷し(みたまうつし)」の神事が行われますよ。
そんな還幸祭が行われた場所はコチラです。
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そして、大政所御旅所の場所はコチラです。
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