こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介する神社は・・・
仲源寺(ちゅうげんじ)です!
別名、目疾地蔵(めやみじぞう)と呼ばれていまこのお寺
どうしてそう呼ばれているのかと言いますと?
それは仲源寺の本尊である『地蔵菩薩』が関係しているんですね。
後ほど、ご説明させて頂きます★
始まりはと言いますと平安時代中期の仏師(ぶっし・仏像を作る人です)である
定朝(じょうちょう)という人が
四条の橋の東北に位置する場所に地蔵菩薩を祀った事によります。
さて、この仲源寺の場所はと言いますと
四条のど真ん中!
鴨川にかかる四条大橋の東側に、劇場である南座があります。
そのすぐ並びに仲源寺があります
更に東に歩けば
すぐに、皆さんご存知の八坂神社が見える距離なんですよ。
なので、このあたりは365日、大勢の人でごった返しています。
※定朝が地蔵菩薩を祀った場所とも程近い場所だったと推測されます。
境内入ってすぐ左手にあるのは『水子供養地蔵』です。水子とは、お母さんのお腹の中で死んじゃった子供ですね。
そのすぐ右隣にありました。大小さまざまなお地蔵さんがいらしゃいましたよ。
このお寺と言いますか、最初は定朝作の祀った地蔵菩薩のある小さな祠が
大活躍する事となったのが1228年。
鎌倉時代になります♪
鴨川が大洪水した時のことです。
かの、有名な白河上皇でさえ
「鴨川の水の氾濫だけは・・・どうしても止められん・・」
と嘆いていたくらい
当時の人にとって、川というのはとっても怖い存在だったんです。
どうにかしてこの氾濫が止められないか?
今でこそ、技術が発達し、川の形を変え、洪水にならないように
設計・工夫されていますけれど、当時はもちろんそういった技術が無いので
結局・・・
( ´Д`)神頼みしかないでしょーーーー!
ってことで、鎌倉時代に鴨川が氾濫した時も
防鴨河使(ぼうかし)と呼ばれる鴨川の氾濫を抑える担当者であった
中原為兼(なかはらためかね)は
仲源寺の地蔵菩薩に
「どうか・・・雨・・止んで・・お願いします(泣)」
と、お願いしたんですね。
すると・・どうでしょう。
見事に雨も止み、洪水も収まったのです!
この事より、地蔵菩薩を祀る小さな祠は
朝廷より『仲源寺』の寺号がいただける事となりました
こちらは観音堂です。中にはもちろん千手観音がいらっしゃいます。ここは、洛陽三十三所観音霊場第十六番札所にあたるんですね。
本堂です。この奥に、その伝説の雨を止ませた地蔵菩薩が祀ってあります。通称『目疾地蔵(めやみじぞう)』です。
ここで気付きかもしれませんが
中原為兼が祈って『人』を『水』から守った事から
中原という漢字に『にんべん』と『さんずい』を充てて
『仲源寺』と名付けられたと言われています
これらの事から当時は、この地蔵尊は雨を止ませるお地蔵さんだという事で
『雨止み地蔵(あめやみじぞう)』と呼ばれていました。
※八坂神社の近くにある事から、参拝の時に雨が降れば、この仲源寺で雨が止むのを待ったりもしたそうです。
さて、そんな鴨川とも関係の深い仲源寺ですけれど
今回はちょっぴり祇園祭を先取りという事で、
いよいよ7月から始まる祇園祭の予習をしたいと思うんですけど
7月10日には、祇園祭の神事のひとつである『神輿洗い』が行われるんですね
※詳細は、祇園祭 2010 お迎え提灯・神輿洗い(八坂神社)をご覧下さい。
その『神輿洗い』に使われる水を鴨川に汲みにいく神事が
神用水清祓式(しんじようすいきよめはらいしき)と言いまして
出発地点が、この仲源寺なんですね♪
※詳細は祇園祭 2010 神用水清祓式(八坂神社)の記事をお読み下さい。
ここで汲み取られた鴨川の水は一度、仲源寺に保管され
夜から行われる『神輿洗い』に使われるんですよ♪
本堂の右側には『天道大日如来』や『大黒天』も祀られていました。
では、お話を戻しまして~。
『雨止み地蔵(あめやみじぞう)』と呼ばれていた地蔵菩薩でしたけれど
それが、いつしか『あ』だけが抜けてしまい・・
『目疾地蔵(めやみじぞう)』と呼ばれるようになりました
もちろん、それだけが理由でなく、目疾地蔵に基づく伝承も残っています。
なんと、この地蔵菩薩は、ある老夫婦の眼病を
自らの眼に眼病を移し、痛みを取り除いたそうなんです。
その事を裏付けるように
その後、老夫婦がお礼にと、仲源寺に参拝すると
境内にある地蔵尊の右眼は朱色に変色し、涙を流していたといいます。
こういった事もあり、目疾地蔵としてその後
広く信仰を集めるようになったんですね♪
パソコンやテレビの見過ぎで疲れ眼の現代人にとっても
大変、ご利益のあるお寺ではないでしょうか?
そんな目疾地蔵を祀る、仲源寺の場所はコチラ↓