こんにちは京子ですっ♪
さて、本日ご紹介する神社は・・・
臼大明神(うすだいみょうじん)です!!
場所はというと、先斗町(ぽんとちょう)にあります。
先斗町と聞くと町名みたいですけど、そうじゃないんですね。
南北に通る道で、ここは京都の花街のひとつになります。
先斗町には、石畳がひかれた通りには料亭や小料理屋が並びます。
通りの東側には鴨川が流れている為
夏場には納涼床が楽しめるお店が多数あります♪
通りの所どころには、横へ抜ける路地が設けられ
夜になると舞妓さんや芸子さんが店から店へと移動するんですね
この通りには
隣に平行して伸びている木屋町通りに
通り抜ける路地が全部で32本あります。
さて、臼大明神は、この先斗町のドコにあるのかと言いますと
5番目の路地にあります。
この5番路地は『ウスの路地』とも呼ばれています。
ちなみに、この看板は
そのウスの路地の出入り口につけられている看板なんですけど
「通りぬけできます」と書かれていますよね?
これは一般の観光客が通り抜けしても良い路地なんですね!
※通り抜け出来ない路地には看板には「通り抜けできまへん」と書かれているんですよ♪
さて臼大明神の祠には
『臼大明神』と記された石と、その下の『目なしの下臼』が祀ってあります。
※下臼とは、上臼とセットで使う石臼の事で、この上下2つの臼には目が付いていて、この間に大豆や玄米を入れてすり潰し粉砕するんですね。
そして、その更に手前にある石の下には
『菱屋・やす・八重』と縦に書かれた三人の名前が刻まれているんです。
これは一体何なのでしょうか?
その答えを言う前に・・この臼はドコから来たのかをお話したいと思います。
昭和初期の民族学者である井上頼寿(いのうえよりとし)の書いた
『京都民俗志』によると
大津紺屋関(おおつこんやがせき)に棲み付いていた
一匹の八九郎狸という名の狸がいたそうです
※大津紺屋関とは、滋賀県の大津の場所のひとつで、過去には紺屋関という駅もありました。
しかし、紺屋関が埋め立てられる事となり
狸の居場所が無くなったんですね。
棲みかを失った狸がいつのまか寝床にし
居ついたのが臼の中だったというワケです。
そこで登場するのが
菱屋・やす・八重という三人。
この臼をどういった形で引き取ったのか
それとも、この臼が三人の手元にあり、狸だけを引き取ったのか
諸説ありますが・・・
※一説には紺屋関に埋め立て工事の時に、狸が見つかったとも言われています。
臼大明神に祀られている『臼』にその狸が棲み付き、寝床にしていたそうです。
ちなみに、この祠の土台部分の左側面に、直径5センチほどの穴があります。
これは、この伝承に基づいたもので
この穴を通り、八九郎狸が夜遊び出来るように作られた穴だそうで
昼はそこに木の栓がしてあるんですけど
夜はその栓が外されているみたいですよ♪
この臼を持っていたのが
菱屋さん、やすさん、八重さんの三人で
粗末に扱えば、バチがあたったそうです。
そこで、臼を綺麗に拭いて、神主さんにお清めしてもらい
土台を築き、屋根を取り付けたのが臼大明神の始まりなんですよ
このお話を裏付けるかのように
滋賀県の大津祭では現在も、狸山と呼ばれる鉾があります。
江戸時代には、狸の面をかぶって踊ると人が集まった
なんて事も言われていました。
当時、お店をしていた
菱屋さん、やすさん、八重さんの3人は
この先斗町で
商売繁盛にあやかって八九郎狸を店先に住まわせていたのかもしれませんね~
そんな臼大明神の場所はコチラ↓