こんにちは京子です!
さて、本日ご紹介する神社は・・・
崇道神社(すどうじんじゃ)です。
まず、この「崇道」とは一体何かと言いますと
・・・崇道天皇の事です。
ん崇道天皇って誰なの京子ちゃん
と、思われる方も多いと思いますけれど
崇道天皇とは
あの、早良親王(さわらしんのう)の事なんですね。
平安京に都を遷都した桓武天皇の弟である早良親王。
死後、彼に「崇道天皇」という称号を桓武天皇は与えました。
早良親王といえば・・・
藤原種継暗殺事件ですよね
奈良から都が長岡京に遷都される際に藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が
桓武天皇の元で精力的に動いていました。
しかし、藤原種継が暗殺される事となったのです。
桓武天皇は、その暗殺に関わったとして実の弟である
早良親王を乙訓寺へと幽閉したのです!
こちらは参道の一番奥にある拝殿です。
拝殿をアップに一枚っ。
お兄ちゃんから疑いをかけられた弟の早良親王は
無実を訴え、絶食までしますけれど・・・怒りが治まらない桓武天皇は
弟の流罪を決定します。
そして絶食していた弟の早良親王は流罪の途中で餓死するんですね。
しかし、その後、桓武天皇の周りの人が次々と亡くなり
これはもしかして
・・・早良親王の祟りによるものじゃないのか
という噂が出て長岡京はパニックに!
そこで、平安京に都を移すことになったんですね。
拝殿前には立砂がありました。
そして、狛犬の姿も見えましたよ~。
とにかく祟りを治めたい桓武天皇は
早良親王の死後に「崇道天皇」という称号を送り
都の鬼門である方角(北東)に彼を祀る神社を創建しました。
それが、この崇道神社なんです
※この他にも、祟りを鎮める為に、鎮魂行事なども当時盛んに行われたと言われています。
さて、さて♪
拝殿以外にも参道には様々なものがありました。
五味藤九郎之碑(ごみとうくろうのひ)
この方は京都代官(江戸時代に京都に設置された役職)だった方です。
この崇道神社のある辺りは山間で標高が高く
当時は筧(かけひ)と呼ばれる竹の筒を使い田畑に水を流していました。
これが度々壊れたようで、それを見かねた五味藤九郎味は
山の岩を切り崩し
63メートルもの長さの隧道(すいどう・トンネル)を作り水を通す事に成功
その功績を称え、この碑が建てられたそうです。
身を浄める手水舎の向かいには、こちらの「打たせ滝」がありました。
最後に、
崇道神社のすぐ側の山には、ある人のお墓があります。
それがこちらの・・・
小野毛人(おののえみし)のお墓です。
※ちょうど山の頂上にありました。10分~15分ほど登ると見えて来ますよ。
この辺りは小野氏が多く住んでいた場所だったんですね。
彼は、「日出るところの天子・・・」で有名な書物を持って
遣隋使として隋に渡った小野妹子の息子であり
朝廷に仕え太政官を務めていた人物です。
このお墓から墓誌と呼ばれる
無くなった人の名前(戒名・俗名)や、業績が刻まれたモノが
江戸時代初期に見つかりました。
※この墓誌は現在、国宝に指定されています。
山の麓には小野神社もあり
祭神は、もちろん
小野妹子と小野毛人なんですよ~♪
そんな崇道神社の場所はコチラ↓