こんにちは京子です
さて、本日ご紹介するお寺は・・・
粟嶋堂(あわしまどう)です。
※正式名称は宗徳寺(そうとくじ)です。
こちらの粟嶋堂は宗徳寺のお堂の名前なんですね。
近所の人には「あわしまさん」として、親しまれているんですね。
堂内に祀られているのが粟嶋明神(あわしまみょうじん)。
この神様は、「婦人の守護神」と言われています。
その為、粟嶋堂は参拝者の多くが女性なんです。
安産祈願や、女性特有の病気の平癒、子授けなどのご利益があります。
粟嶋堂と書かれている石柱かと思いきや・・よーく見ると、灯篭になっていましたよ。
ちなみに、宗徳寺は室町時代に建てらお寺で
お寺の鎮守社(鎮守のために建てた神社)として
和歌山の淡嶋神社(あわしまじんじゃ)から粟嶋明神を勧請し
粟嶋神社と称したものが建てられました。
しかし、それから時は流れ
明治政府の命令である神仏分離令により
粟嶋堂と名前を改めたという事です。
境内に入ると、まず正面に見えるのが名前の由来ともなっている
粟嶋堂です。
そして、粟嶋堂の前にはカワイイお召し物をした、「びんづる」さんがいますね~。
びんづるさんは、撫でる事によりご利益があります♪
ドコを撫でるのかと言うと・・・自分が患っている部分なんですね~!!
粟嶋堂の寺紋(じもん)のモチーフは稲穂、それとも粟でしょうか?
粟嶋堂の隣には、赤い鳥居が印象的な先分稲荷社がありました。
こちらは「弘法大師 庚申堂(こうしんどう)」です。
ここで注目っ!
庚申堂にいくつかの人形が写っているのがお分かりでしょうか
よーく、境内を見渡してみると
ここにも、人形がいっぱい!?
数箇所に分けて、このように人形がいくつも並べられています。
そうなんです!
この粟嶋堂は人形供養のお寺としても大変有名なんですねっ。
市松人形や、フランス人形や、キティちゃんもありましたよ~。
紀州徳川家(徳川御三家のひとつ)の姫たちが
幼少の頃に使った雛人形が奉納された事に端を発し
人形供養のお寺としてその名が広がりました。
※和歌山(紀州)にある淡嶋神社でも人形供養が行われています。
こちらは人形塚です。「人形癒しの石碑」と刻まれています
女性一生の守り神と言われる粟嶋堂。人形供養といい、女性にゆかりのお寺だと言えますね。
こちらは絵馬になります。
そして、最後にご紹介するのが
与謝蕪村(よさぶそん)の句碑です。
彼は江戸時代の俳人であり、画家でもあります。
若くして、江戸へ上京した蕪村は俳諧(俳句の源流)を学びます。
しかし、彼の師匠の死をきっかけに江戸を離れる事となります。
そんな時に、次の行動に移したきっかけとなった人物が
松尾芭蕉。
彼のように、江戸を離れ芭蕉のように、句を詠みながら長い旅へと出かけます!
それと同時に、俳句だけでなく画の勉強もされたそうです。
俳画と呼ばれる、俳句を画で表現した手法の第一人者で
簡素に書いた画から言葉や感情や、季節を表現する技法です。
蕪村の句は、思想を表に出さずに、一見シンプルに見えますが
言葉遣いはとても洗礼され
彼の書くひとつの言葉で広大なイメージを連想させ
独特の感覚を持っていた俳人だったと言われているんですね。
旅すること約10年
・・・この京都へ赴き、以後、ここを活動の中心としたんですね。
粟嶋堂で蕪村は娘の病気平癒を願い、お参りをしていました。
その際に残した句が、句碑にもなっている
「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」
※この句は蕪村が粟嶋堂でお参りをしている時、百度詣りをしていた女性の姿を描いたものだそうです。
多くの詩人や歌人、俳人を魅了した蕪村ですが
影響された人物として有名なのが、明治期の俳人「正岡子規」だったりしますよ~!!
そんな粟嶋堂の場所はコチラ↓
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