こんにちは京子です。

さて、本日はご紹介するのは

弘源寺の正門

弘源寺(こうげんじ)です

こちらは、京都市右京区(うきょうく)にある

天龍寺(てんりゅうじ)の

境内塔頭(けいだいたっちゅう)になります。


塔頭とは、師や高僧の死後に

彼らの徳を慕い、お墓の周りに建てられた

小さな院や脇寺(わきでら)の事で

境内にあるものを境内塔頭

境外にあるものを境外塔頭と言います。


弘源寺の春の特別拝観看板

弘源寺は普段、非公開なんですけれど

年に2回、春と秋に毎年期間限定で公開しているんですね


西山弘源禅白と書かれた石碑

弘源寺は、室町時代の1429年(永享元年)に

室町幕府の管領(かんれい)、細川持之(もちゆき)が

天龍寺の開山者、夢窓国師(むそうこくし)の法孫にあたる

玉岫英種(ぎょくしゅうえいしゅ)を開山に迎えて

建てたと伝わっています。


管領というのは将軍を補佐する役職のことで

細川氏は、斯波(しば)氏、畠山(はたけやま)氏とともに

三管領(さんかんれい)といって

管領になる資格を持つ家だったんですね。


つまり、立派な家柄ということです


ちなみに細川持之の息子は

応仁の乱で知られる細川勝元(かつもと)なんですよ。


弘源寺の境内の様子

さて、まずは山門をくぐり境内に足を踏み入れます。

まず左手に建っていたのは・・・

弘源寺の毘沙門堂(びしゃもんどう)

毘沙門堂(びしゃもんどう)

お堂の中には、「毘沙門天像」が祀られています。

インド、中国、日本を渡って来た、この毘沙門天像は

当初、比叡山の無動寺にあったものだそうです。


弘源寺の絵馬

こちらの絵馬にも毘沙門天が描かれていました。


さて次に

こんな像も境内にはありました。


弘源寺の文殊菩薩像(もんじゅぼさつ)

獅子の背中に乗った「文殊菩薩像(もんじゅぼさつ)」です。


「三人寄れば文殊の智恵」なんて言いますけれど

その文殊とは、この菩薩の事なんですね。


庫裏(くり)から本堂へと

そして、いよいよ

庫裏(くり)から本堂へと入ります!


本堂の襖(ふすま)には戦前の日本画家

竹内栖鳳(たけうち せいほう)や、その一門による

扇(扇子)の絵や、梅の絵、などが描かれていました。


残念ながらそちらは撮影禁止でしたので

是非、生でご覧下さい!


弘源寺の幕末の刀傷

こちらは、長州藩士によって付けられた

「幕末の刀傷」です。


1864年(元治元年)に起こった禁門の変の際に

1500人もの長州藩士が、ここ(天龍寺境内に)に陣を構えたそうで

その時に刀の試し斬りをした跡なんだそうです。


この時、長州藩士はとってもイライラしていて

怒りをぶつけるように、この柱に刀を振り下ろしたとか。


少し前に起こった池田屋事件で仲間を襲われ

怒り狂い、とっても血が沸き立っていたんでしょうね!


弘源寺の虎嘯(こしょう)の庭

最後にご紹介するのは

「虎嘯(こしょう)の庭」です。

嵐山を借景にしている枯山水庭園なんですね。

弘源寺の龍吟雲起 虎嘯風生

名前は「龍吟雲起 虎嘯風生」という言葉から取られています。


龍がいななけば雲が起こり

虎が吠えれば風が吹く。


という意味だそうで、禅の悟りを表しているそうです


ということで、今回は天龍寺の境内塔頭である

弘源寺をご紹介しました。場所はコチラです↓

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