こんにちは京子です
さて、本日は・・・
曼殊院(まんしゅいん)をご紹介します
はじまりは、最澄というお坊さんが比叡山に作ったお堂でした。
このお坊さんは、何度も京子ブログで取り上げていますけれど
伝教大師と呼ばれる高僧です。
しかし、高僧でありながら、弟子にラブレターを送ったり
沢山のエピソードの残る、天台宗を始めた平安時代のお坊さんです
そんな彼は、比叡山延暦寺を作った事でも有名で
※曼殊院が比叡山に作ったお堂が始まりという事も頷けますよね。
その後、是算(ぜさん)が初代住職になり
比叡山西塔に場所を移します。
ちなみに、現在の地(一乗寺)に場所を移したのは1656年の事となります。
この是算というお坊さんは菅原家の人で
曼殊院には菅原道真を祀る祠(天満宮)もありましたよ。
曼殊院は
「天台宗五門跡」のひとつでもあります。
(別名、京都五箇室門跡とも言います)
※門跡とは、皇族や摂家が出家する位の高い寺院の事です。
天台宗五門跡と言われるものは曼殊院以外に
があります。
全て京子ブログで一度、ご紹介しているお寺ばかりなので是非チェックしてみてください。
先ほどの石碑を超えると
長い坂になっていて、昇った先に見えるのが
勅使門(ちょくしもん)
もちろん、天皇の勅使(使い)の方しか入れない門ですので
普段は閉鎖されています。
京子は左手へぐるっと回って
境内へ入りたいと思います。
境内への入り口前にはこま札があります。曼殊院の始まりなどが解説されていました。
庫裡(くり)から中へと進みます。
※庫裡とはお坊さんの食事を用意したりする為のお堂の事ですね。
庫裡から、まずは
大玄関と呼ばれる建物へと移動します
大玄関は虎の間、竹の間、孔雀の間と分かれていて
それぞれの部屋の襖には、虎、竹、孔雀が描かれていました。
中でも、虎の襖絵は重要文化財に指定されていて狩野派の中でも代表的な画人「永徳」のものだと言われています。
そして大玄関を出ると
大書院(おおしょいん)へと続く渡り廊下があります。
どんどん先へと進んで行きます
渡り廊下から見えた護摩堂(ごまどう)。手前には梅林と呼ばれるお庭が広がっていました。
大書院の中も残念ながら撮影禁止でしたけれど
部屋は「滝の間」から「十雪(じゅっせつ)の間」「仏間」「控えの間」と分かれています。
十雪の間には
おみくじを作ったお坊さんである元三大師(がんざんだいし)坐像があったり
狩野探幽の襖絵もあります。
ちなみに、こちらが
曼殊院の本堂にあたりますよ。
大書院の前には枯山水の庭園が広がっています。
苔の生えた部分はそれぞれに名前が付いていまして
手前に見えるのは鶴島です。
※白い砂を海に見立てると、島のように見えますよね。
鶴島には樹齢400年と言われる五葉松が植えられていて
これが鶴の首に見立てられているという事です
そして鶴島の松の木の根元に、一本の「キリシタン灯篭」があります。
※キリシタン灯篭は別名、クリス燈籠・曼殊院燈籠とも呼ばれています。
このお庭は「小桂」とも言われていて
桂離宮を造園した智仁天皇の皇子が造園しているからなんですね
こちらは梟(ふくろう)の手水鉢です。
名前の通り、手水鉢に梟があしらわれているのがわかりますか?
別アングルからお庭をもう一枚。
手前は、亀島と言います
奥に見えているのが、先ほどご説明したの鶴島です。
鶴と亀が並ぶ、お庭というのも
なんだか縁起がいいですよね
そして、大書院から更に奥へと渡り廊下を進むと
小書院(こしょいん)があります
こちらには「富士の間」
そして、「黄昏の間」と呼ばれるお部屋に別れています。
中には、国宝不動明王像「黄不動」を描いた掛け軸がありました。
黄不動とは、三不動と呼ばれる不動明王のひとつであり体が黄色い事からそう呼ばれています。
※残念ながらこちらも撮影禁止でした。
ちなみに三不動のひとつ「青不動」は青蓮院にありますよ~。
さらに寺宝は数多くありまして司馬遼太郎の「街道をゆく」の中で「夏でもあってじつに涼しげであった」と言われる紹介されている、ガラス茶碗やその他には、後小松天皇(ごこまつてんのう)ゆかりの巻物などがガラスケースに並べられています。
小書院から更に奥へと進むと
現在、現在特別公開されている
「上之台所」へ続いています
※この上之台所には来客用の食事や、曼殊院の住職の食事を用意する所なんですね。
さて、上之台所を出た京子
最後にとっても衝撃的なものを見たんですけど
・・・それが2つの「幽霊の掛け軸」なんです。
パンフレットなどにもちゃんと紹介されているわけでもないんですけれど
実は曼殊院に伝わる「幽霊の掛け軸」は口コミで有名なんですよね~。
作者、年代ともに不明のこの掛け軸
どうしてその掛け軸があるのかと言いますと人から人の手へ渡り、最終的に持ち主が怖くなりお寺へと納めたからなんですね。
一説には、もう1枚、幽霊の掛け軸を曼殊院では保有していたそうで、その作者は足の無い幽霊を書いた、第一人者である円山応挙(まるやまおうきょ)の作品だとも言われています。そちらは、しばらくして持ち主に返されたという事です。
さて、幽霊の掛け軸を
実際に見てみると・・・
とっても怖い!!(汗)
2体の幽霊・・とにかく迫力があります。
ひとつは、塔婆をバックに白い和服を着た髪の長い老女。
もうひとつは、それよりも若い女性でした。
話によると・・・
掛け軸を写した写真を持っているだけで不可解な現象が起こるようになると言われています。
無断で写真を撮った方があまりにそういう現象が起こるので撮った写真をお寺に送り、お祓いしてもらう方もいたりするそうです。
やっぱり、勝手に撮るのは
やめたほうがよさそうですね。
※幽霊の掛け軸とともに「撮影されても責任は負いかねる」との説明書がありました。
そんな見所満載の曼殊院に訪れてみては
曼殊院の場所はコチラ↓
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