こんにちは京子です
さて、本日も特別公開中のお寺をご紹介させて頂きますっ
現在、大河ドラマの主人公にもなっている「お江」ですけど
その、お江と、徳川二代目将軍「秀忠」の間に生まれた娘さんである
東福門院(とうふくもんいん)
今回は、その彼女の菩提寺である・・・
光雲寺(こううんじ)をご紹介します
さて、この光雲寺は南禅寺の境外塔頭でございます♪
こま札によると、最初は大阪の摂津にあったものでしたが
この地に再興される事となります。
それに協力したのが
後水尾天皇(ごみずのおてんのう)と東福門院のご夫婦でした
そーなんです
東福門院は天皇のお嫁さんだったんですね。
その縁もあり東福門院はここを菩提寺とされたそうです。
さ~て、まずが山門を潜りまっすぐ行くと
正面に見えているのが入り口なんですけど・・・
ここにかかっているのれんを
よーく
よーく
見てください
菊の御紋と葵の御紋が仲良く並んでいるのが
わかりますか~っ
なんだか、後水尾天皇と東福門院の仲の良さを表しているようにも見えちゃいますよね。
徳川家と天皇家の繋がりを深く感じさせるのれんです!
では、まずその前に
入り口手前の左手にある本堂をご紹介
こちらの中に、ありますのが
東福門院の木像
ちょっぴりふっくらしたお顔がチャーミングな東福門院さん。
こちらは彼女が亡くなってすぐに作られたものだそうです。
本堂前のお庭をパチリ♪
本堂にあるのはそれだけではありません
一体の観音様がいらしたんですけど
普通、観音様って
坐像であったり立像であったり
そういうもんですよね??
しかし、こちらにある
「弘誓観音像(ぐせいかんのうぞう)」は
(・∀・)ノ優雅に船を漕いでます
こちらは聖徳太子が作ったものだそうです。
残念ながら、これも撮影禁止でしたけど
生で見る価値アリですよ~
それに加え、東大寺金剛力士像を作ったあの運慶作の
聖観音像なんかもありました。
東福門院もこの聖観音像に手を合わせていたと言われています♪
本堂のすぐ近くには鐘楼もありました。
さて、さて。
東福門院は10代で、生まれた江戸を離れ
この京都へとやってきたワケなんですけれど
今の時代に置き換えると、すんごーく早いと思いませんか
女子高生くらいの歳で江戸から京都へやって来て
天皇家のお嫁さんとして後水尾天皇との夫婦生活を
彼女はスタートしたワケなんです
いつの時代もそうですけど
時の権力者は天皇家との間に子供を作り、繋がりを濃くしようとするものです。
※家康は皇子誕生の期待を持って東福門院を送り出したと言われています。
後水尾天皇は幕府のこの提案がイヤだったんでしょう。。
反抗するかのように
後水尾天皇は、ある女性と関係を持ち、子供まで作ちゃうんですね。
徳川家以外にも男の子が生まれれば幕府も困るだろう
という目論見があったものだと思われます。
しかし
幕府の圧力により、その女性は隠居させらちゃうんですから徹底してますよね、徳川幕府(汗)
そして
東福門院が江戸からお嫁さんとしてやってきたという事です。
さて、正面入り口から入りどんどん中へ進んで行きますと
庭園が広がります~
こちらのお庭は、江戸時代からあったものに
小川治兵衛が大幅に手を加えられ現在の形になりました。
※ちなにに造園家「小川治兵衛」は代々襲名していくお名前だそうで現在は11代目だそうです
琵琶湖疏水が引き込まれた池泉廻遊式の庭園は、借景に東山という素敵なお庭でしたよ♪
さて、
お嫁さんになっちゃった東福門院ですけど
3年後には女の子が生まれます
(・∀・)ノなんだ
・・やっぱり仲は良かったんですね!
2人の夫婦仲は良かったんですけど
実は幕府と朝廷の仲はあんまりよく無かったんです
昨日の京子のブログでは紫衣事件(しえじけん)についても書きましたけど
この時代、幕府の力がどんどん大きくなり、権力を持ち
朝廷も監視下におかれちゃいます。。。
後水尾天皇はこういった事もあり
ひどくプライドを傷つけられていたと言われていて
後水尾天皇は引きこもるように
2人の間に生まれた娘を7歳で天皇にして
それ以後、院政をひくんですね。
※この時、859年ぶりに女帝天皇が誕生しました。
この院政、つまり天皇に代わり取り仕切る事も本来は
幕府は許していなかったんですけど
奥さんの東福門院も、後水尾天皇の気持ちを察して院政を行わせたとも言われています。
その事からも感じ取られるように
夫婦仲は非常に良くて東福門院の方が亡くなった時も
後水尾天皇は大泣きしたそうです。
そして、その2年後、後水尾天皇も崩御される事となりました。
さて、光雲寺はお庭を囲むよに建物が並び
こちらの茶席では、お茶を飲む事が出来ますよ
そして、こちらにも東福門院ゆかりのモノが飾られていまして
それが東福門院肖像画
死後100年ほど経ってから、描かれたもので先ほどご紹介した木像の東福門院を見て絵師が描いたものだそうです。
当時の江戸時代中期の美意識によって
木像の東福門院とは違い、少し細めスタイルで描かれていましたよ~。
やっぱり、女性としては
・・・スリムに描かれた方が嬉しいかも
他にも、彼女の直筆の書や髪の毛までゆかりの品々がありました。
さて、ここまでご説明したところで・・・
京子も頼んじゃいました
どーですか、美味しそうなお抹茶と団子
こちらのお団子は豆餅が有名な行列の出来る和菓子屋「出町ふたば」のものなんですよ♪
ではいただきま~す
パクっ
もぐもぐ、お団子を食べて抹茶を流し込み
春の兆しを感じた京子でした~っ。
そんな東福門院の菩提寺である光雲寺の場所はコチラ↓
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