こんにちは京子です
さて、本日は
日本の狛犬文化の発信地である京都の
現在、龍谷大学教授をされている小寺慶昭さんの書かれた
秀犬、猛犬、珍犬、駄犬、迷犬の全てを徹底調査した
「京都狛犬巡り」という
著書の中で
「京都で最も恐ろしい面構え」
と言われている狛犬がいるお寺・・・
松風天満宮(まつかぜてんまんぐう)です。
それにしても
恐ろしい面構えの狛犬
うーん、どんなモノなのでしょう??
京子、まったく想像できないですけど・・・
まずは、松風天満宮の由緒をチェックしてみましょう
「天満宮」と言えば、菅原道真を祭神とする神社ですよね、普通?
昌泰の変(しょうたいのへん)で、大宰府に左遷された道真の怒り(祟り)を静める為に神格化し祀られるようになったのが全国に散らばる天満宮です。
しかし、こちらの松風天満宮は
別名「松宿院」とも呼ばれる知恩院系の寺院なんですね。
実際、松風天満宮の前の道を東へと歩けば
3分ほどで知恩院に到着します。
では一体、どうして
「松宿院」と呼ばれるようになったのかと申しますと・・・
時は江戸時代、1633年に知恩院が大火事で大部分を焼失した事に始まります
その当時、知恩院の住職であった
雄譽霊巌(おうよれいがん)というお坊さんが
徳川3代将軍、家光によりバックアップを受け
知恩院は再興される事となったんです!
住職としての責任もあったのでしょう。
雄譽霊巌は
「無事に、再興出来ますように~、そして知恩院が早く復活できますように~」
と手を合わせて願い続けたのが
平安、鎌倉時代の武士・僧侶・歌人である西行(さいぎょう)から伝わった
「天神尊像(てんじんそんぞう)」だったんですね。
天神とは、つまり・・・菅原道真の事なんですね
松風天満宮はお寺と神社が一緒になっている神仏習合(しんぶつしゅうごう)です。
この祈りのおかげで
無事に知恩院は再興される運びとなり
出来立ての大伽藍に
どどーんと「天神尊像」が祀られました
その後、この天神尊像を当地に移し
創建されたのが松風天満宮なんですね。
なので知恩院系の寺院というワケなんです。
本尊として天神尊像が今も祀られていますよ
こちらは久邇宮(くにのみや)家の天神像が合祀されています。久邇宮家は皇族で唯一の総理大臣「東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)」の宮家です。
東久邇宮稔彦王は終戦後まもなく総理大臣になった人で
当時、日本の軍人(陸軍)たちの武装解除をさせる目的で
皇族を各地に派遣し、説得にあたらせたんです。
ちなみに、「松風」とは
雄譽霊巌の号(称号・別名)であり
「松宿院」という名前は、その松風=雄譽霊巌の宿
という意味合いから取られてるんですね。
つまり・・知恩院の住職の別邸ってワケでしょうか
ちなみに、ご利益は
学文向上
技芸向上(ぎげいこうじょう)
家門繁栄(かもんはんえい)
諸縁円満(しょえんえんまん)
諸願成就(しょがんじょうじゅ)という事です
と、いう事で、こちらの拝殿の前にあります
「京都で最も恐ろしい面構え」と言われている2匹の狛犬さんを皆さんにも見て頂きたいと思いますっ
こちらっ。
もちろん、口元はしっかりと
阿(あ)と吽(うん)になっていますね~。
※仏教において、「阿」は口を開いて最初に出す音であり「吽」は口を閉じて出す最後の音なんですね。そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされたと言われています。
確かに、怒りに満ちている表情の狛犬さんですけど
全体的にシルエットがシュっとしてる為
チーター!?を連想させて
表情の怖さに一層拍車がかかっている気がしますね~
ちなみに、こちらの狛犬は陶器製で出来ていて、その上から黄色い色が塗装されています。
こちらは境内入って右手にありますお稲荷さんです~。
ちなみに、今まで京子ブログの中でも変わった狛犬やその他の動物を沢山ご紹介してきました。
・宗忠神社の「逆立ちを決めたアクロバティック狛犬」
・護王神社の狛犬ならぬ「狛猪」
・大豊神社の「狛鼠」
など、など、他にも京子が知らないだけで
面白い狛犬があるかもしれないですね。
よかったらみなさん教えていただけると嬉しいです
そんな「京都で最も恐ろしい面構え」の狛犬がいる松風天満宮、別名「松宿院」の場所はコチラ↓
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