こんにちは京子です


さてっ。

昨日、京子が参加した「山科義士まつり」の出陣したお寺で

徳川家康のフィクサーとして知られる

天海というお坊さんによって再興を果たした

毘沙門堂の渡り廊下

毘沙門堂(びしゃもんどう)です。

ちなみにこちらは通称でありまして、正式名称は出雲寺(いずもじ)と言います。

毘沙門堂の石碑

では早速、毘沙門堂の中へ入ってみましょう~っ


写真を見ていただければ分かると思いますけど

とにかく・・・

山の中にあるので

毘沙門堂の大階段

すさまじい傾斜であり、大階段となっています!


この、毘沙門堂の参道の階段はいくつかありまして


毘沙門堂の勅使門へ通じる階段

こちらは勅使門へ通じる階段です。

皇室の方々が参拝のときに使われた事もあるそうですけど

もちろん、現在は閉ざされています。


そして、長い階段を登った先にあるのが!

毘沙門堂の大玄関

「大玄関」と呼ばれる建物が見えてきました~っ。

※ちなみにこちらから入る事は出来ないんですけどね


でーんとしたご立派な玄関ですね


じゃぁどこから入るのかと言いますと・・・


毘沙門堂の本堂

本堂ですね。

こちらには本尊である毘沙門天(びしゃもんてん)が祀られています。


そして、その本堂から渡り廊下で繋がっているのが

毘沙門堂の宸殿

宸殿になります


毘沙門堂の「九老之図」という襖絵がある宸殿

こちらの中に、何があるのかと言いますと・・・

狩野派のひとりである、狩野益信(かのうますのぶ)が描いた

「九老之図」という襖絵っ!


これがまたまた不思議なもので

今でいうトリックアート♪

撮影禁止だったので画像を出せないのが残念ですけど

簡単にご説明させてもらいますと


机と三人の男の人が描かれている襖絵なんですけど


見る角度によって、机の長さや形が変化するんですね。

「逆遠近法」という手法だそうなんですけど、これには京子もちょっとびっくりしちゃいました♪他にも、こういった目の錯覚を利用した作品である、「板戸の衝立(いたどのついたて)」これは木の衝立に、鯉の画が描かれているものでこちらも、見る角度によって変化します。


などなど!

他のお寺とは一味違った作品が

部屋を彩っていました


毘沙門堂の提燈

さて、遅くなりましたけれど

毘沙門堂のこま札

こま札チェック!!

こちらの毘沙門堂は天台宗の寺院となります。

天台宗と言えば、弟子にラブレターを送っちゃった最澄が始めた宗派ですよねそして、この毘沙門堂は天台宗五門跡寺院のひとつになります。

※門跡寺院とは皇族や摂家が出家する特定の位の高い寺院の事なんです~。


天台宗の三門跡!と言えば・・・三千院青蓮院妙法院です。

これが五門跡となると、上記の三門跡に加え、こちら毘沙門堂と、曼殊院が加わるんですね


さて

毘沙門堂(出雲寺)の創建は703年です。その後、荒廃し

鎌倉初期に再興されますが、また再び荒廃・・

そこで再び、江戸時代、徳川家康のフィクサーとしても名高い


「天海(てんかい)」によって復興され現在の地に再建されたそうです

以後、皇族や摂家が出家する特定の位の高い寺院である門跡寺院へとなったんですね。


なるほど~

なんだか、天海というお坊さんはスゴい力を持ってたというのが

推測されるエピソードですよね。


毘沙門堂の梵鐘

こちらは梵鐘でしょうか?中は見えなかったですけど鐘が入っていると思います。


毘沙門堂の絵馬

こちらの絵馬に描かれているのが、毘沙門天ですよ♪


さて、この天海という人はいったいどんな人なんでしょう?


彼が徳川家康の側近として

江戸幕府初期の朝廷政策、宗教政策に深く関与したと

言われているんですけど、


生年月日もはっきりとしていなくって

謎の多い人物としても有名なんですよね。


そして、何よりも徳川家康のフィクサーとして有名で

家康を裏で操っていた人物?とも言われています。


毘沙門堂の「一切経蔵」

「一切経蔵」は経典を安置するため建物です。

毘沙門堂の本堂に繋がる渡り廊下

本堂に繋がる渡り廊下、じつは季節は少し過ぎてしまいましたが紅葉が綺麗だそうですよ★


しかも、天海は徳川幕府でも発言権のある人物だったようで

三代目将軍「家光」と柿を食べてた時に、

天海は柿の種を持って帰ろうとしたんです。


家光は「無駄な事を・・・」と言いますが

彼は時の将軍を、「天下を治めようという人がそのように性急ではいけません」と諭すんですね!


しかも、見事にその種から柿を実らせ家光に送ったといいます。


将軍を諭すなんて、なかなかの大物ですね~。


毘沙門堂の宸殿の奥に広がる晩翠園(ばんすいえん)

宸殿の奥に広がるのは晩翠園(ばんすいえん)と呼ばれる見事な回遊式庭園。


毘沙門堂の「高台弁財天」

こちらは大阪城内で祀っていた弁財天を移したと言われる「高台弁財天」です。


ちなみに、それに加えて

「天海とは明智光秀である。」なんていう説があったりするんですね!

実はこの説というのは近代ではなく、元禄初頭から囁かれていたらしいですよ。


そういわれる理由として


「延暦寺の焼き討ち以後、荒廃していた光秀の領地である近江の国「坂本」の復興に心血を注いだ」

「天海の作った家康の墓がある日光の場所を、明智平と名付けた」

この他にも

比叡山不動堂の庭には

「奉寄進 願主光秀 慶長二十年二月十七日」

と刻まれている石灯籠があるんですけど

そこに刻まれた日付は、

光秀が死んだとされる日から30年以上も経っていますし


天海の口利きで重要とされたのが

春日局(家光の乳母で大奥の礎を築いた女性)なんですけど

じつは彼女の父親は

本能寺の変の功労者である斎藤利三(山崎の合戦で斬首した光秀の家老)なんですよね


調べれば調べる程、

光秀は実は死んでおらず、天海という僧に名を変え

家康を裏で操っていたんじゃないか

と、思わせるものが沢山出てくるんですよね。

知れば知るほど天海は面白い

そんな天海が再興した毘沙門堂の場所はコチラ↓


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