こんにちは京子です

さて、本日は!

来年度2011年の大河ドラマの主人公として注目を集めている

お江(おごう)の両親である

浅井長政(あざいながまさ)と、お市(おいち)ゆかりの寺として知られる


養源院の入り口

養源院(ようげんいん)です

うーん、もう来年の大河を楽しみにしてしまっている京子っ。

スタートする前にこのブログで「お江」について予習してみたいと思います~♪


さて、まずはここで親子関係についてご説明しますと


戦国武将の一人である「浅井長政(あざいながまさ)」

彼の奥さんが織田信長の妹(いとこであるとも言われています)でもある「お市(おいち)」

その2人の間に生まれた三姉妹というのが

「茶々(ちゃちゃ・のち淀殿と呼ばれます)」「お初(はつ)」「お江(おごう)」です


では、それを頭に入れて養源院をご紹介していきたいと思いますっ。


この養源院の建てられた由来について

ご説明いたしますと・・・

養源院のこま札

豊臣秀吉の側室で、秀吉の息子である秀頼(ひでより)を生んだ

茶々が、お父さんである浅井長政の菩提を弔う為

に秀吉にお願いして建てられたお寺です。


寺名の「養源院」は父である長政の院号(将軍家の戒名)であったんですね~

なんてお父さん思いなのでしょう、茶々。

( ´Д`)ケナゲヤノー…


しかし、彼女は秀吉の側室でありながら、秀吉との出会いはとても皮肉的なものでした。


さて、まずはお父さんである「浅井長政」とお母さんである「お市」の馴れ初めからお話しましょう。

時は戦国時代。

織田信長は全国統一を目指し朝倉家討伐を狙っていました。


そこで、信長は天下を取る為に

浅井長政と同盟を結ぶ事にしました。

岐阜から上洛を考えていた信長は、その途中にある近江をまずは抑えようとしたんですよね。

※浅井長政はこの頃、近江一国を支配する戦国武将だったんです。


その方法として

信長は自分の妹である「お市」と浅井長政と結婚させるんですね。


「お市」は信長の妹であり絶世の美女としても歴史に名を刻むほどの美貌の持ち主。


信長「長政よ、ワシの妹をお前の嫁にくれてやる!」

浅井「本当ですか?」

信長「これで、ワシとお前は親戚じゃ。オレの事を本当の兄貴のように思ってくれてよいぞ」

浅井「ありがとう、兄者!!これからはそう呼ばしてもらいます」


って事で、信長は見事に浅井家と同盟を結ぶ事に成功。

そして、室町16代将軍「足利義昭」を立てて上洛を果たしたんですね。


養源院の山門をくぐると、どーんと真っ直ぐな道

山門をくぐると、どーんと真っ直ぐな道が伸びています。紅葉まだまだ終わっていませんでしたよ~♪


しかし、足利義昭と信長の不和から

義昭は信長に対抗出来そうな勢力と信長包囲網を画策します。

そこに朝倉家が含まれていたんです


信長は満を持して朝倉家討伐へ乗り出します。


しかーし、ここで起こったのが

( ´Д`)浅井長政の裏切りだったんです!!


この時、戦地の信長へ、妹のお市から「小豆袋」が届けられるんですね。

最初は信長は何の事なのか分からなかったようです。

両方を紐で縛った袋の中に小豆が入っているモノ。


この両端を縛られ中に詰め込まれている小豆が

自分の事だと気付きます。


信長「謀りおったな!!!長政ーーーーっ!!」

信長も最後まで、浅井長政が自分を裏切るなんて信じられなかったようですね。しかし、この小豆袋を貰った事で長政の裏切りを確信します。


信長軍は浅井家、朝倉家から包囲網を組まれた事により

急いで逃げ帰る事となるんです。

※ちなみに、この退却劇により武功を上げたのが信長の家臣である豊臣秀吉。「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち)」は有名ですよね。

秀吉は見事に殿(しんがり・退却する部隊の中で最後尾の箇所を担当する部隊。)を務め見事に信長を守り抜きました。


さて、怒りに震えた信長は

信長「浅井長政めぇーーー!!こうなったらヤツをとことん潰すっ!殺してしまえっ!」

家臣「しかし、長政様のところには信長様の妹である、お市様がいらっしゃるではないですか!?」

信長「かまわん、全員殺してしまえーーっ」

家臣「えぇぇぇ・・・・(汗)」


と、それほどまでに怒り狂っていたと言われています


養源院の梵鐘

こちらは突き当たりの本堂を右手に入るとあります、梵鐘です。


こういった経緯の元、行われたのが

「姉川の戦い(1570年)」です。

朝倉家を見事滅ぼし、いよいよ浅井長政の首を取る為に信長は小谷城へと攻め入ります。


どんどん攻め入る織田軍に

いよいよ長政も最後の時を迎えます。


長政「お市、お前は信長の妹だから・・ここを出ろ。信長も悪い風にはしないだろう、気兼ねなく行ってこい」

お市「お前様・・ここでもし生き延びる事が出来たとしても、浅井の女房だと後ろ指をさされ生きていくのは忍びないです。。一緒に死なせて下さい。。」

長政「何を言ってる、小さい娘が3人もおる。その娘らを育てるのがお前の使命だ。生きて・・いつかワシの菩提を弔ってくれ。」

お市「うぅぅぅ(泣)」


お市は長政の説得により生きながらえます。

その時、攻め入ったのは豊臣秀吉だったんですね


お市は秀吉に強い敵対心を抱きつつ、3姉妹を引きつれ織田軍に保護される事となります。

長政との約束をいつか果たすと心に決めて。


その後、お市は三姉妹(茶々・お初・お江)と供に織田信長の弟の元で暮らします。

やっと平穏な日々を過ごせると思ったのも束の間・・・


これだけで終わらないのが戦国時代。


織田信長は明智光秀の謀反により「本能寺の変」で倒れ

その明智光秀を秀吉が「山崎の戦い」により討ち取ります。

ここで、織田家の後継者争いが勃発するんですね。


織田家の新当主を決める清洲会議(きよすかいぎ)の後、

秀吉は信長の亡き長男の息子(三法師)を担ぎ上げ彼こそが信長様の後継者だと主張。

※しかし、三法師はまだ小さな子供であった事もあり秀吉が織田家を乗っ取る事は誰しもが分かりました。


柴田勝家側は信長の三男である「信孝」が跡を継ぐべきだと

主張します。


しかし、清洲会議に出席していた

丹羽長秀、池田恒興も秀吉側についた為に

当主争いは決着する事となります。


その後、お市は柴田勝家のもとへと嫁ぐ事となります。

この頃から秀吉と柴田勝家の対立は水面下で進んでいきますが


1583年、賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)において両者激突する事となります


本堂南側のお堂

こちらは本堂南側のお堂になります。


結果はというと、もちろんご存知のとおり

秀吉が勝つ事となります。

つまり・・・


( ´Д`)お市はまた、秀吉によって夫を失う事となるんです(泣)


柴田勝家「お市、お前だけは、助かるのじゃ・・・」

お市「もう、イヤです・・。」

柴田勝家「どうしてじゃ、お前は信長様の妹。秀吉も殺すまい、生きるのじゃ」

お市「私は信長の命で秀吉により、前夫である浅井長政を失いました、そして今度はアナタまでもが・・・」

柴田勝家「しっかりするんじゃ!」

お市「どうせこのまま生きながらえても、信長の妹であるが為、また利用されるだけだわ・・」

柴田勝家「そんな事はない、生きるのじゃ、さぁ出ていけ!」


お市「私はその事だけが心残りで生きてきたんです。これ以上は生き恥をさらしたくない。だから死なせて下さい」

柴田勝家「・・・・。」

お市「ただ、娘たちだけは助けてあげたい・・・」

柴田勝家「・・・・・そうか・・・。」


これにより、柴田勝家はお市を抹殺した後、自分も腹を十文字に切り裂いて自刃するのです


そして、残された三姉妹

長女「茶々(ちゃちゃ・のち淀殿と呼ばれます)」

次女「お初(はつ)」

三女「お江(おごう)」は、秀吉に引き取られる事となります。


3人の娘たちは

秀吉により両親を失ったのです。

・・・この3人は秀吉の事を恨んでいたのではないでしょうか


しかし、ここで皆さんもご存知な通り

秀吉の側室に行く事となるのが、長女の茶々ですよね

※秀吉は「お市」に憧れていたとされ、三姉妹の中では母の面影を一番よく受け継いでいた長女の茶々を、側室に迎えたという事だそうです。


養源院のお江の墓

こちらは、亡くなってから6年後にお江の娘である東福門院によって建てられたお江の墓です。


うーん、これまでの経緯を踏まえるとなかなかビックリしちゃいますよね。

そして、ほかの2人はどうなったのかと言うと

次女のお初は京極高次という武将に嫁ぎ

三女(来年の大河ドラマの主人公)であるお江は二度の結婚&離縁の後・・・

(・∀・)ノ徳川秀忠(のちの徳川2代将軍)へと嫁ぐんですね


ここで、3姉妹の運命も皮肉なものとなります。

と、いうのも長女の茶々はこの後、秀吉の跡取り息子「秀頼」を産みます。


その時、浅井長政の娘である茶々は忘れていなかったのです。

そうです、お母さん(お市)がお父さん(浅井長政)と果たせなかった約束。


それは

「オレの菩提を弔ってほしい」という願いだったんですね。


茶々が息子の秀頼を生んだ、丁度この時に秀吉に願い出て

養源院を建てる事となったんですね。


あれから21年、父親である浅井長政の菩提寺を作る事が出来ました。

( ´Д`)ヨカッタネ…


うーん、やっぱり親子の絆って固いんですね。

戦国時代は女性も外交手段のひとつとして扱われますけれど

家族の絆の深さを表しているエピソードだなって思いました(泣)


養源院の紅葉が綺麗

こちらは本堂から山門を見た様子。うーん、やっぱり紅葉が綺麗ですねーっ!


さてさて、秀吉が死んでしまい

関ヶ原の合戦の後、徳川の世の中へとなりました。


そこで、最後の仕上げとして徳川家康は

豊臣家を滅ぼそうと動き出します。

「大坂の陣」ですよね~!!!


つまり、長女の茶々(淀殿)は息子と一緒に大阪城へ立てこもり

三女のお江の旦那(徳川秀忠)がそこに攻め入るという・・・


( ´Д`)なんとも皮肉な運命

姉妹なのに、敵と味方に別れる事となってしまったんですね。

結果はと言いますと

茶々は大阪城で自刃。


この時のお江の気持ちとはいったいどんなものだったんでしょうね・・。

やっぱり、とても悲しかったのではないのでしょうか。

それを裏付けるかのように

茶々のお墓は、お江が建てたと言われています。


ますます来年の大河ドラマで実写化されるのが楽しみであります!


養源院の勅使門

こちらは勅使門ですね、通常はもちろん閉ざされているのです。


さて、ちなみにお江はこの後、2人の息子を産むんですね。

一人目を生んだ時、自らの手によって育てる事は出来ず

乳母(うば)に取られちゃうんですね。

その乳母というのが・・・・


春日局(かすがのつぼね)

彼女って実はとっても怖い女性だと言われていまして

通説では、夫の浮気に怒って相手を殺しちゃったなんて言われたりするような人なんですよね(汗)


そして、あの大奥の礎を築いた人物なんです。

うーん、どう考えても大物の女性ですね・・・


ちなみに、お江の2人目の子供は

自らの手で育てたようです。


一人目の息子は母親であるお江にはなついてくれず

春日局と仲がよかったそうで、春日局の思惑通り?かどうかわわかりませんが

三代目将軍「家光」が誕生します


と、いう事で今日は長くなりましたけれど

お市と浅井長政、そしてその娘である

長女の茶々、次女のお初、三女のお江とずらーっとお話してみました♪

来年の大河ドラマが

楽しみになってきませんか


養源院の本堂

さて、最後に養源院の本堂をご紹介します。

中は全て撮影禁止でしたけれど、

ここには源光庵にもありましたけれど「伏見城の戦い」による血天井があります。

詳しくはリンクページをご参照くださ~い

そして他には風神雷神図を書いた事で有名な

俵屋宗達が鳥居元忠らの霊を沈める為に描いた絵がありました。

「白象図杉戸絵」


ちなみに、この象は想像によって描かれたものだそうです。

この頃の象は空想上の動物だったので

当時は神聖なものだったんでしょうね。


そして、本堂の廊下はうぐいす張りで、静かに歩くほど音がするんですね

このうぐいす張りで見事に捕まっちゃったのが

天下の大泥棒、石川五右衛門です。

廊下をうぐいす張りと知らずに歩いて

捕まっちゃったという話も残っているんですね。


そして、浅井長政、お江、徳川秀忠の位牌の他に

以後、徳川家の菩提寺ともなった為に秀忠以降の徳川歴代将軍の位牌もありました。


そんな養源院の場所はコチラ↓


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