こんにちは京子です~っ

さて、本日も

紅葉の写真と供にお届けしたいと思います

紅葉の名所として大変有名なっ

源光庵

源光庵(げんこうあん)です~っ。


はい!

以前も夏にお邪魔しておりますので

そちらの記事も合わせて読んでいただけると嬉しいです!

今回、改めてお邪魔したんですけど


もう中に入る前から紅葉が素敵

京子、ワクワク&ドキドキです!!

源光庵の石碑

観光客の人も大勢訪れていました。


さてさてでは、おさらいしてみましょーっ。

源光庵のこま札

京都の大徳寺の初代住職を努めた徹翁義亨(てつおうぎこう)という方が

隠居所として開基したのが、この源光庵の始まりです。

徹翁義亨は、ちなみに鎌倉、南北朝時代の臨済宗のお坊さんですよ


そして、源光庵で有名なのが2つの窓!

「悟りの窓」

「迷いの窓」

ですよね~っ。


では、観光客で大勢の源光庵へと入ってみましょう


いやー・・・それにしても

源光庵の境内

お見事っ!


こちらは楼門付近の紅葉ですね。


カエデ&カエデ&カエデっ

下にも沢山落ちてますね~。

源光庵の本堂

中へ進むと本堂が見えてきます。

その中にあるのが・・・・


源光庵の悟りの窓

丸い形の「悟りの窓」


源光庵の迷いの窓

四角い形の「迷いの窓」


赤く色づいた庭園をこの窓から見れるなんて

(・∀・)ノなかなかの幸せモノの京子であります


簡単にこの2つの窓をご説明しますと

「悟りの窓」とは!?

丸い窓は宇宙を表していると共に「禅と円通(観音様)」の心を表現したものです。つまり、禅の無心さと、観音様のような穏やかな心を表しているのですね♪

「迷いの窓」とは!?

生老病死(しょうろうびょうし)の4つを表しているコチラの窓。生まれる事、老いる事、病気、そして死ぬ事というこの世で避ける事の出来ない4種類の苦悩を表現しているんですねっ!


コチラでは更に詳しく「悟りの窓」「迷いの窓」について書いていますので

そちらをご覧下さい。


そんな禅の雄大な心と、苦悩が横並びで配置された表現された窓から見える紅葉を

是非皆さんにも堪能して欲しいと思いますね~っ。


源光庵の額

本堂の中にある額には「萬徳殿」と書かれています。


さてさて!

紅葉や、悟りの窓、迷いの窓もさる事ながら

もう一つ有名なものが・・・

源光庵の血天井

血天井ですよね!!


読んで字の如くっ。

こちらの血の付いた天井なんですけれど

源光庵の血天井の足型

伏見城の床板がこちらの源光庵の本堂の天井板に

使われているというワケなんですね。


どうしてこんなに血がついてるかと言うと

伏見城の戦い(1600年)

これが行われたからなのです。


ちなみに伏見城の戦いとは

豊臣政権から徳川政権へと移り変わる動乱期、関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき戦いが伏見城で行われました。

戦ったのは

豊臣軍:石田三成(いしだみつなり)

VS

徳川軍:鳥居元忠(とりいもとただ)


源光庵の鳥居元忠の位牌

結果は

徳川軍:鳥居元忠が自刃に追い込まれた戦いでした・・・。


その戦いでついた血の後がこの天井に刻まれているんですね。

※「これにより伏見城は朱に染まった」と言われる程の壮絶な戦いだったみたいです


ちなみに、前回、伏見城の戦いをご紹介した時は

勝者、石田三成について書かせてもらいましたので

今回は

敗者

鳥居元忠に関して取り上げたいと思います~


(・∀・)ノまずは、この時の徳川軍の背景を見てみましょう。

ちょうどこの時、徳川家康は何をしていたかと言うと??


会津征伐へと向かったのですね。

豊臣政権の五大老の一人である上杉景勝を討伐する為に伏見城を出発します。

家康がいない間、伏見城の留守を任されたのが家臣の鳥居元忠だったんですね


源光庵の紅

紅がなんとも色鮮やかですっ!


源光庵の紅

ちなみに、京子の今回の紅葉ベストショット!


鳥居元忠は徳川家康の絶対の忠臣であったと言われています。

幼少の頃から家康に仕え、幾度も武功を上げます。

しかし、鳥居元忠は

感状

(上位の者がそれを評価・賞賛するために発給した文書)

を全く受け取らなかったそうなんですね~。


家康「よくやった元忠、感状をやろう!」

元忠「・・いいえ、家康様。私に感状は無用なモノです。」

家康「ん、どうしてじゃ?上司が部下を評価するのはあたりまえであろう?」

元忠「感状別の主君に仕えるときに役立つものであり、家康様しか主君を考えていない自分には無用なものであります!」

という、


(・∀・)ノなんとも熱い主従関係があったんですね。


さて、そんな会津征伐に大群を引き連れ出かけた家康。

手薄になった伏見城は、少数の家臣だけで守らねばなりません。


鳥居元忠はもちろん、この間に

豊臣軍である石田三成が攻めてくれば

遠く離れた味方(家康)からの後詰め(応援・援護)にも時間がかかり

防戦が出来ない事もわかっていたとも言われています。


源光庵のススキ

ススキも素敵でした♪


源光庵の庭園の紅葉

庭園の紅葉もお見事です~


ちなみに伏見城の戦いにおいての

両軍の兵力は・・・

豊臣軍:石田三成、40,000人に対して

徳川軍:鳥居元忠は

なんとたった・・・1800人。

orz


これだけを見ても戦力差は明らかであったと言えますね。

しかし、元忠は

「1分1秒でも三成を食い止め、彼らが家康様を追いかけ、背後を攻めさせてはならない!なんとしてでも引き伸ばさねば!」


約10日に渡る攻防戦を繰り広げるも

結果的に石田三成により、自刃に追い込まれた鳥居元忠。


鳥居元忠を伏見城で討ったのは

鉄砲集の雑賀孫一(さいかまごいち)という人です。

この人は、石山合戦において織田信長を撃ち重症にまで追い込んだ人でありますね♪

家紋がヤタガラスを使用していたと言われています。


享年62歳の生涯に幕を下ろしたのでした。


ちなみに子孫には「忠臣蔵」で有名になった大石良雄(内蔵助)がいたりします、ビックリ

そんな「伏見城の戦い」での血天井が見れる源光庵はコチラ↓


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