こんにちは~京子です

さて、本日は

その噂は、中国の明にまで響き渡ったと言われる

一人の遊女

「吉野太夫(よしのだゆう)」を弔うお寺っ・・・・

常照寺

常照寺(じょうしょうじ)です


場所は…と言いますと、鷹ヶ峰になります

そうですね~

先日ご紹介した光悦寺

悟りの窓で有名な源光庵も同じくすぐ近くにあります。


常照寺の石碑

門の前には南無妙法蓮華経と書かれた石碑が建っていました!


さて、まず最初に・・・


遊女って何なのと言うと

この、遊女という言葉の意味は広~く

現在の職業で言うところの

舞妓さん的な芸事をする人から、ホステスさんなど男性へのサービスをする女性を指す言葉なんですね。


その遊女で有名だったのが

吉野太夫だったんですね


太夫と書くと男性って思ってしまうかもしれませんけれど

女性ですのでお忘れなくっ


実はその「太夫」という名前にも

理由がありますのでそれは後ほどご説明させて頂きます★


常照寺のこま札

さて、こちらはこま札ですね。

元々、こちらの土地は日本のダ・ビンチである「本阿弥光悦」の

土地であったそうで、日蓮宗のお坊さんである

日乾(にっけん)が開山したのが始まりです。


では、その吉野太夫ゆかりの常照寺の中へ

早速、入ってみましょーっ。

常照寺の吉野門

こちらの朱塗りの山門は

「吉野門」です


もちろん、吉野太夫が23歳の時に寄進したんですね!


若いっ。


吉野門を通り過ぎると右手に見えて来たのが

常照寺の帯塚

帯塚(おびづか)

常照寺の帯塚の石碑

日本の女性の象徴である「帯」をモチーフにしてるんですね。


その女性に感謝し1969年に作られました

そして、いよいよ見えてきました~っ!

常照寺の本堂

本堂です。


額が掲げられているのがわかりますか?

「旃檀林(せんだんりん)」と書いているのですね。


これは何を指すのかと言うと・・・


僧侶を養成する寺院、学問所のことを指します。


つまり・・・

そうなのです!


ここは僧の為の学校だったんですね。

かつては広大な境内に、30余りの棟のお堂が並び

多くの学僧で賑わっていたようです


さて、では

吉野太夫という女性について

ここで、少し詳しくご説明させてもらいます~っ。


彼女は江戸時代初期の女性であり、生まれたのは

関ヶ原の合戦の6年後、武士の娘として生まれます。


名前は徳子と言いました。

その後、京都にあった花街のひとつ島原の遊女として

デビュー。

常照寺の提灯

常照寺と書かれた提灯


彼女は誰もが羨むほどの美貌の持ち主だったそうで

14歳の若さで「太夫」になります。


はい、ここで!

その太夫ってのは何なのと申しますと

江戸幕府が認可している遊女に授けられる最高位の称号なんですね。


彼女は遊女の中でも教養が高く

和歌や連歌、俳句の他、

書道、茶道、華道に加えて

囲碁、双六まで!多岐に渡り優れていたそうです。


才色兼備とはまさにこの事ですね


常照寺の紅葉

紅葉がとっても美しかったです。


その美貌が海を渡り、中国の明にまで届き彼女宛のラブレターまで来たそうですからスゴいとしか言い様がないです(汗)


源氏名である「吉野」に、「太夫」という称号がセットになったというワケなんですね。


※ちなみに吉野太夫という名前は何代にも渡り使われている名前であり、その中で一番有名であったのがこの2代目の徳子だったんです。


最高ランクの遊女である吉野太夫と同席出来る事が

男性のステータスのひとつであったようです


さて、本堂から左手へ歩いていくと・・・


常照寺の境内

風情があると思いませんか~


常照寺の百度石

こちらは、百度石。


百度参りの為に、百度石を使って回数を数えるみたいで

小石やこより、竹串などをここに置いて100数えるという事だそうです。

※百度参りとは神仏に祈願する為に社寺の入口から拝殿・本堂まで100回行きし参拝する願掛けです。


そして、次に見えたのは

常照寺の鬼子母神堂

鬼子母神堂(きしもしんどう)です。

中には鬼子母尊神(きしもそんしん)が祀られています。

もともと子供を殺して食べる悪魔だったんですけど、仏の教えを聞いて

改心した後は、子育てや子授けの神様として信仰されています。


うーん、それにしても

さすが、女性に関するモノが多いですね~。


そして、道なりに進んでいくと

常照寺

どうやら下に降りれるようなので

行ってみると

常照寺の白馬観音と白馬池

白馬観音と、その前に広がる白馬池がありました


白馬に乗った観音様なんてなんとも珍しいですね~っ


さて、そんな吉野太夫も26歳の時に

ついに身請けされます


そのお相手が

京の豪商で文化人でもあった灰屋紹益(はいやじょうえき)という方。


どれくらい豪商かって言いますと彼女をモノにする為に公卿と張り合い

1300両も払って勝ち取ったというんですから、すごくお金持ちさんですね~。

※諸説ありますけど、江戸時代初期で1両=10万円で考えると1億3000万円!!


常照寺の吉野窓

窓をよーく見て下さい。完璧な円ではなく、下が少し水平になってますよね。彼女が愛した窓だそうで、吉野窓と言います。この形は不完全さを表しているようですね


しかし、遊女という事もあってか

灰屋紹益は両親に大反対され、駆け落ちをする事となるんです。


その後は幸せに暮らしたそうですけれど

吉野太夫は38歳の若さでこの世を去る事となります(泣)

病死だったそうですね。


常照寺の吉野太夫の墓

こちらは境内にある彼女のお墓です。


開山した日乾に帰依していた彼女の遺言により常照寺に葬られました。


春には吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜が常照寺の境内に咲き乱れるそうです。

またその時期に足を運べたら、そんな風に思います。

場所はコチラ↓


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