こんにちは京子です~っ
さて、今回は幸神社(さいのかみのやしろ)を取り上げた際に
その際に、
読者の方から
御所のドコに猿がいるの
わかんないよ~っというご意見もありましたので
お応えさせて頂きます~っ
京子調査員は、猿ヶ辻のある場所にダーッシュ~してまいりました
どん到着、猿ヶ辻~
そ・・
し・・・
て・・・っ
こちらが、その猿ヶ辻の猿がいる
京都御所の外壁です。
これは、丁度「鬼門」にあたる北東の角でございます♪
ちょっとびっくりしませんか!?
角がない
そうなんです、この鬼門に位置する角だけ
凹んでいるのがわかりますよね?
ちなみに
鬼門に角が付いたままだと災いが入ってくると言われ
角を取っちゃったという事なんです。
うーむ、大胆ですね
それはさておき、
一見すると、ん???猿なんていないじゃん!?
と思いますよね。
京子も最初は何度も見過ごしていた猿ヶ辻のお猿さん。
こっちは向かって右側の角(北側)・・
いない・・・
そして
次に、向かって左側(東側)の角を
見ると・・・
(;つД⊂)ゴシゴシ
んむむむむ
よーく見ると
丁度、屋根の軒下(のきした)、ひさしの部分にっ!
か…金網に捕らえられてるっ
お猿さんがいまーすっ!
ちなみに、どーして猿が金網に入れられてるの??
と言いますと
夜な夜なこの猿が屋根から飛び出し
悪戯をして、鳴く声が天皇の耳に入ったからといった理由があるそうですね
猿ヶ辻と呼ばれる前は「つくばいの辻」という名前だったそうです。
ここであった出来事というのが「猿ヶ辻の変」
1863年に尊皇攘夷派の公卿「姉小路公知」が惨殺されたんですね。
犯人が誰だったのかという事は今も謎のままで
その犯人はこの猿だけが知っている
なんて言われたりもしています。
犯人である可能性が高い人物として「人斬り新兵衛」こと田中新兵衛(たなかしんべえ)という名が上がります。「猿ヶ辻の変」で、現場に新兵衛の刀の鞘が落ちていた為だったんですね。容疑をかけられた新兵衛ですが、自害してしまい真相は結局闇の中という事です。
さて、それにしても
どうして鬼門を守るのが猿なのでしょう
(・∀・)ノそれは北東の方角と十二支に関係があるんですね。
方角を十二支で表現した場合
北東と対角に位置するのが「申」つまり猿なんです♪
真逆だからこりゃ、猿は鬼門に対抗できるってなモンですね!
ちなみに、逆に鬼門の方角の干支は何だと思いますか
それが「丑・寅」つまり、牛と虎。
鬼に角があるのは牛だから、そして虎柄のパンツを履いている事からも十二支と方角の関係はなかなか面白く出来てますよね。
この鬼門を守る猿という発想は御所が最初ではなく
この御所の鬼門のずーっと先にある
日吉大社で
猿を神の使いとして崇拝していたのですね♪
「神猿(まさる)」と言って、「神猿」は「魔去る・勝る」に通じると言われていて
その日吉大社の猿を御所の鬼門の位置にも
置いた事が「猿ヶ辻」の始まりです。
ちなみに猿と言えば日吉大社というくらい有名で
応仁の乱の時に
一時期、祇園祭が中断した事があり
日吉神社の末社である
祇園社(現八坂神社・祇園祭りを行っている神社です)は
日吉社のお祭りが復興されていないのに
祇園祭を先に復興するわけにはいかず最初は我慢していたんですけど
民衆の声も高く
先に祇園祭を再開しちゃったんですね
しかし、それから数日後
京の町を50~60匹の猿が突如現れて市民を困らせた事があったんです。
その時には
「これは、先に祇園祭を再開させて日吉社の神様を怒らせてしもうた~(汗)」
と人々は口にしたそうですよっ。
ちなみに、少し脱線した話をすると
猿に似てる子供には「日吉丸」と付けられる事が多かったそうなんです。
この日吉とはもちろん日吉神社の事で、猿はつまり神の使いですから
縁起がいい名前なんだとか
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