こんにちは京子です!
さて、本日はお祭りーーっをご紹介したいと思います
11月1日に護王神社(ごおうじんじゃ)にて行われた・・・
亥子祭(いのこさい)です
さて
このお祭りは一体どういうものなのでしょう?
まずはそこを予習してから亥子祭をレポートしたいと思います~っ♪
この亥子祭はそもそも
平安時代(平安朝時代)に
宮中、つまり天皇の居所である京都御所の
年中行事として行われていた
「玄猪の式(げんちょのしき)」
を再現したお祭りなんですね
玄猪の式というのは、
(・∀・)ノ天皇自らがお餅(亥子餅)をついて皆に振る舞い無病息災を願う行事の事!
※元は中国から伝わったお餅なんです
では、予習も済んだところで
早速、亥子祭をレポートしたいと思います
まずは京都御所の西側、烏丸通りを挟んで東側に位置する
護王神社で神事が始まります
夕方5時に京子が護王神社に行くと・・・
舞殿に人が集まっておりま~すっ
亥子祭ではこの護王神社で餅をつき、それを御所に献上するのです!
ちなみに、こちらのお写真の女性は、
奉仕女房(ほうしにょうぼう)と呼ばれる方々~
亥子祭の儀式のお手伝いをする女性なのですね!
そしていよいよ
「御春式(おつきしき)」と呼ばれる神事が始まります。
まずは奉仕女房たちをお祓いした後・・・
唱和が始まり
緊張感も一層高まります~
この舞殿の中には宮司さんが天皇役に扮していて
次に何が始まるのかというと
もう想像つきますよね
奉仕女房さんの手に注目っ
そう、臼(うす)ですね!
いよいよ亥子餅をつく準備に入ります~っ
こちらは杵(きね)です。
5人いる奉仕女房さんが入れ替わりでいろんな道具を持ち込みます♪
ちなみに亥子餅では三種類の餅がつかれます。
それが
胡麻(黒)・小豆(赤)・栗(白)です。
※当時は身分によって天皇から賜る亥子餅の種類が分かれていたのですね!
さてさて、亥子餅グッズが全て出揃いますと
いよいよ始まりましたよ~っ!
そうです・・・
ペッタン&ペッタンっ
天皇役の宮司さんが当時を再現して亥子餅をつきはじめました!!
お餅付きを優しくみんなで見守ります~っ
さて、この護王神社は
主祭神である和気清麻呂公(わけのきよまろ)が
刺客に襲われた際に
猪によって助けられた事もあり
この護王神社では「猪」を神使としています。
別名「いのしし神社」とも呼ばれていて
境内にも奉納された狛猪などが立っていたり
絵馬も猪のイラストが
とにかく境内は沢山の猪で溢れているんですよ~っ。
胡麻の亥子餅。ゴマの風味とがっちりした食感が最高でした。
ちなみに!
亥子餅(いのこもち)は
亥の子(旧暦の10月である亥の月、亥の日、亥の刻(午後10時頃))に食べるところからその名がついています。
だから丁度、この11月1日に行われるんですね~っ。
※「源氏物語」葵の巻では、光源氏が紫の上と結ばれた後の第二夜に亥子餅を食べるシーンが出てきます。
玄猪の式が護王神社で行われるようになった理由は
霊猪(れいちょ)の信仰を有する神社である事から
亥子祭として、当時を再現し行われるようになったのです。
さてさて、そんなお話をしている間に
完成しましたよーーっ
亥子餅っ
こちらを持って、京都御所へと向かいまーっす
護王神社を出る際に、火打石をカチカチとして・・・
御所へゴーっ!
雅な衣装に身を包んだ朝貢列が亥子餅を持って
御苑の蛤御門から入ります
護王神社から蛤御門へは距離にして数十メートルなのです!(近いっ)
ちなみに京都御苑の中に、京都御所と呼ばれる場所があるんですね。
さてさて一団は御苑を歩いておりま~す!
ちなみに、京子が護王神社に着いたのが夕方5時なんですけど
そこから餅をついて
この御苑に入ったのが
なんと午後7時です
なかなか長丁場な亥子祭ですね~
そして、いよいよ清所門(せいしょもん)から
御所の中へ入るのですけれど
御所内は残念ながら・・・
( ´Д`)撮影禁止!!!
中の様子はというと
宮司が祝言を言い上げ、亥子餅を献上します。
受け取るのは宮内庁のお役人の方なのです。
そして、それが終わると
護王神社にみんなで帰ってきます。
気付けばもう8時過ぎ(汗)
寒いなぁ・・
と長時間、動かずに見物していた京子。
しかーし、ここでなんと
一般客に熱燗と亥子餅が振舞われます!!!
(・∀・)ノサプラーーーイズっ
そんなびっくりの振る舞い酒&餅に感動~(泣)
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