こんにちは、京子です~っ。

さて、本日は

あの!室町幕府の初代将軍である足利尊氏が再建した

赤門が目印っ

そして、幕末っ37人の攘夷志士たちが眠るお寺・・・

竹林寺の入り口

竹林寺(ちくりんじ)

どーですか、この見事な赤門!

なんとも特徴的なお寺ですね~


では早速中へお邪魔したいと思います


こちらの竹林寺は鎌倉時代に

後宇多天皇(ごうだてんのう)の勅願により

顕意(けんい)というのお坊さんによって建てられました。


※ちなみにこの竹林寺の向かいには、8000体もの達磨(だるま)を保有するお寺である達磨寺法輪寺)もありますので併せて行かれる事をオススメします~っ。


竹林寺のこま札

さて、この竹林寺のもうひとつの見所といえば、

先ほどもお伝えしましたけれど

竹林寺の石碑

「平野国臣以下三十七士の墓」

がありますっ。


って事で、まず・・・


平野国臣(ひらのくにおみ)ってどんな人なのか

簡単にご紹介すると

幕末に生きた攘夷志士であり、元福岡藩士です。

※福岡市には銅像が建つほど有名な方なんですね~。


あの、西郷隆盛が一度、安政の大獄によって京を追われ

攘夷派のお坊さんである月照と共に薩摩湾で

入水自殺を図った事は皆さんご存知ですか!?


その時ーーーーっ

西郷をすくい上げ、蘇生させたのがこの平野国臣だったんですね。


いやー、なんとも大きな仕事をされております(汗)


竹林寺のお堂

こちらはお堂になります。


竹林寺の観音堂

右手、階段を上がると見えてくる観音堂。一木等身の十一面観音菩薩が安置されているそうです。


尊王派の公卿である三条実美や、西郷隆盛と共に

倒幕に奔走していた平野国臣だったんですけれど・・・


結果的に京の街で幕府によりその身を拘束されちゃいます。


そして牢屋である

六角獄舎(ろっかくごくしゃ)に彼が入っている間に起こったのが

あの有名な・・・


長州藩が京都に攻め入り、起こした

蛤御門の変


京の街中を焼けつくしたこの戦い。

火の手は、六角獄舎に迫る勢いだったようです。


そして、その時、六角獄舎に投獄されていたのが

平野国臣を含む37人の攘夷志士だったんです。


幕府の役人は

蛤御門の変での戦いだけでも大変なのに

火の手が六角獄舎にまで到達し

倒幕に動く彼らが牢屋から逃亡してしまうと更に大変だ!

・・という事で


なんと!

まだ彼らの裁きが終わっていないにも関わらず


緊急で処刑(斬首)したのです・・・!!


竹林寺にある攘夷志士の名

ずらっと37人の攘夷志士の名が記されています。


竹林寺にある供養塔

境内には供養塔ももちろんありました。


この37人の中には、池田屋事件のきっかけにもなった主要人物

古高俊太郎も含まれていました。


今の時代のように、何の事情があるにせよ

裁判や取調べを行わないまま、野に再び放つなんていう

甘っちょろい時代では無かったって事なのですね(汗)


竹林寺の石碑その2

こちらにも丁寧に名前が記されています。


時は流れ、明治10年になり

平野国臣の名を記した瓦と一緒に人骨が見つかった事がきっかけにより

彼らは、この竹林寺に改葬されました。

※ちなみに、六角獄舎は日本で初めて人体解剖を行った場所でもあり解剖には死刑囚が用いられたそうです。


この六角獄舎の出来事は

火の手が回り、逃亡を恐れた幕府による緊急処置という事でしたけれど・・・


なんと残された資料によると

結果として

六角獄舎には火が回らなかったようで


もしかすると・・・

最初から37人の攘夷志士の斬首には様々な陰謀が隠されているのかもしれませんね。。(汗)


そんな竹林寺の場所はコチラ↓

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