こんにちは、京子です。
さて、本日は京都の繁華街のど真ん中に位置し
初代住職は、なななーんと
恋多き女と言われた女流歌人
「和泉式部(いずみしきぶ)」
と言われる
誠心院(せいしんいん)ですっ。
さて、京都の繁華街と言いましたけれど、もう少し詳しくご説明すると
修学旅行生などでも賑わう、新京極通り(しんきょうごくどおり)沿いにこちらのお寺はあります
当時、政治を取り仕切っていた藤原氏の一人である
藤原道長(ふじわらのみちなが)が
和泉式部の為に与えたのがその始まりとされています~っ。
藤原道長といえば、・・・そうですよね
彼の別荘地に建てられたもので有名なのが
10円玉でおなじみの平等院(びょうどういん)ですよね
さてさて、誠心院の中に入るとパネルが幾つも展示されています~っ。
こちらは誠心院に伝わる
「和泉式部縁起絵巻」をパネルにしたもので
彼女の人生を描いています。
そもそも
和泉式部ってどんな人生を送ったのでしょう
以前、貴船神社でも書かせて頂きましたけれど
恋多き女性であった和泉式部。
同僚の歌人には、あの紫式部もいたんですね~。
しかし彼女からも
「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と言われ・・・
この誠心院を与えてくれた藤原道長にも
・・・「浮かれ女」と言われる始末(笑)
ここで、先にご説明させて頂きますと現代と違い、当時としては、和泉式部だけでなく他の女性も恋愛遍歴が多く、そういう時代だったという事もあるのです。
そして、彼女もはじめからそんな女性だったわけでなく
最初は夫を一途に愛する人だったようなんです。
それがひとつの和歌を読んだ事によって
大きく変わっていくのです。
幕末の大火で消失した神変大菩薩像(木造)を再興した石像です。
その大きく変わるきっかけというのは
藤原道長の側近であり、夫である橘 道貞(たちばなのみちさだ)への思いを綴った和歌。
当時2人は別居状態だったんですね。
その離れた夫を思い綴った和歌を目にしたのが
・・・皇族の一人であった為尊親王(ためたかしんのう)という男性。
なんとその和歌が、彼の心をギュっと掴んじゃったんですね。
そして
2人は・・・恋に堕ちちゃいます。(汗)
ええええええ!ダメじゃん和泉式部!夫がいるのに。。
今で言うと不倫ですよね~危険な情事ってヤツですね。
2人は熱く激しく燃え上がりますが
その恋路を邪魔したのは、身分の差。
和泉式部の親にこの事がバレて、
反対された挙句、勘当までされちゃうんですね・・・
そして、ここから彼女の恋に生きる人生が始まります。
こちらは本堂である小御堂(こみどう)
鈴成り輪(すずなりぐるま)といって、お経が書いてある車を、お願い事をしながら手のひらでグルグルと回します。
こちらから顔を出すと和泉式部になれちゃいます。
2人で熱い恋を実らせるのかと思いきや
その尊親王がなんと急死してしまいます。。
そして今度は
彼の異母弟である敦道親王(あつみちしんのう)から
( ´Д`)求愛を受けちゃうんですね(汗)
どんだけモテるんだ、和泉式部・・・・!?
そして結果的に、敦道親王の奥さんを追い出して見事成就~。
この事より、和泉式部は「魔性の女」と言われるのでしょうね~。
男を振り回す女性は、今も昔もいたって事です(笑)
彼女がモテる理由・・・それはやっぱり和歌
さすが恋愛歌人「和泉式部」
もう、世の男性がキューンとなる要素が隠されていたのでしょうね~。
もちろん彼女の歌碑もありました!
これは和泉式部千願観音。
さて、これでやっと幸せになれたかなっと思った和泉式部。
しかーし
まさか・・・まさか・・・
敦道親王がお亡くなりに
彼女にとっては2回目の死別になっちゃいます。
うーん、どこまでも幸せになれない和泉式部・・・
orz
そして、最後に現れた男性。
それが、源頼光四天王と共に鬼を討伐した
平井保昌(ひらいやすまさ)という人。
ちなみに、祇園祭の山鉾のひとつでもある、
彼を虜にしていた和泉式部とのエピソードが残されていますので
よかったら是非読んでみて下さい。
平井保昌の猛アタックによって2人は結ばれますが
一説には、保昌とも別れたとも言われているんですよね~
うーん、やっぱり幸せになれないんでしょうか和泉式部。。
そして、もちろん。こちらもありました!
そうです、和泉式部の供養塔です。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな」
彼女の数多くの和歌の中から、百人一首に選ばれたのは
自らの死を予感した時に詠んだ「死んでしまう前に愛する人に、今もう一度会いたい」という歌でした。
この歌をチョイスしたのは!そう、あの人。藤原定家!流石ですねっ。
ちなみに、彼女との恋仲の噂は本当に多く
ちょっと調べただけで、
これまでに出てきた男性の他にも・・・
源雅道(藤原道長の奥さんの甥っ子)
源俊賢(藤原道長の奥さんの兄弟)
源頼信(夫であった平井保昌の甥っ子)
藤原信経(紫式部の叔父)
それに加え
藤原隆家、藤原道綱、道命阿闍梨、藤原定頼、などなど
どんどんどんどん・・・
( ´Д`)なんて多いんだ和泉式部・・・(汗)
そんな誠心院の場所はコチラ↓
大きな地図で見る