こんにちは京子です~っ。

さて、今日も紅葉の時期に

超オススメのお寺をご紹介したいと思います。

その名も・・・

二尊院

二尊院(にそんいん)


こちらの二尊院、嵯峨天皇(桓武天皇の息子さん)の命令により

円仁というお坊さんが建てました。

二尊院のこま札

あれ?円仁って誰だっけと思われた方

・・そうですね

嵯峨天皇とも親交の深い、最澄というお坊さんの弟子なのです。

最澄は唐から帰ってきた後、延暦寺を作り天台宗を広めました。

つまり、ここも天台宗のお寺という事です

二尊院の石碑

ちなみに、この二尊院というのは通称で

正式名称は「小倉山二尊教院華台寺(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)」


本尊は一尊をお祀りしておられるお寺が多いんですけど

この二尊院は、名称通り「釈迦如来像」と「阿弥陀如来像」の二尊を祀っている事から二尊院と呼ばれるようになりました


ではでは、さっそくなんですけど

秋になると人で溢れ

「紅葉シーズンの名所」

と言われている参道をまずはご覧頂きたいと思いま~す!


どどーん

二尊院の紅葉の馬場

紅葉の馬場です!


あ・・・


( ´Д`)思いっきり、まだ葉が緑です(汗)

しかーし、こちらの長~い参道が

11月中旬になると

一面真っ赤に染まるのです


「うーん、京都に紅葉でも見に行こうかなぁ?・・・でも、ドコ行こう?」


となった時には

是非こちらの二尊院「紅葉の馬場」を思い出してくださいね~っ


さて、ここで

二尊院を語る上でもう一人

欠かせない人物を

ご紹介したいと思います。


以前、木屋町界隈の史跡でも少し触れました人物、

戦国期の京都の豪商と言われる

二尊院の角倉了以像

角倉了以(すみのくらりょうい)


二尊院にも銅像が建てられているこの方は

「水運の父」とも呼ばれ、木屋町を流れる高瀬川を作った人でもあるんです


そして、冒頭でご覧頂いた二尊院の総門は

彼の手によって伏見城の「薬医門」が移築されたものだったんです。


薬医門??


そうなんです、彼はお医者さんでもあり、ここ二尊院もある嵯峨出身の人物なんですね。


そして、お医者さんでもありながら質屋経営も行ってたそうなんです!


その後、海外貿易(朱印船貿易)で莫大な富を得て

徳川家康に天下が移ると

今度は京都の西(嵯峨)を流れる保津川を使い、

大堰川(桂川)を作り

搬送船を通すなど、なかなか頭の切れる人だったんですね~


お話は変わって

みなさんもご存知の百人一首。

京子もこの百人一首には思い出があります。


・・・頭を痛めながら一日一枚ずつ暗記したあの思い出は今でも忘れません(笑)


そんな、小倉百人一首に

大変ゆかりのあるお寺がこの二尊院なのです。

二尊院の軒端の松

広々とした空間に突如現れた松の木!?


これは何かな~と近づくと・・・

軒端の松(のきばのまつ)

公家で歌人でもある藤原定家(ふじわらていか)の歌である「忍ばれむ物ともなしに 小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」と書いた立て札が!


そうなのです

藤原定家が小倉百人一首を選定した場所である「時雨亭跡」がこの奥にはあるんですね~。


現在はその場に立て札しかないですけれど

お時間ありましたらそちらも回られてみてはいかがでしょうか??


二尊院の八社ノ宮

こちらは伊勢神宮、熱田神宮など8つのお宮が祀られている八社ノ宮。


二尊院の扇塚

誓願寺でも見ました扇塚もありました。


そしてそして~!

いよいよ見えてきました

二尊院の本堂

こちらが本堂になります。


ここに祀られている二尊院の由来となった二体の本尊。


最初に拝見した時はびっくりしましたけど

二体が肩を寄せ合うようにして祀られていた姿はなかなか珍しかったですよ


二尊院の本堂の額

本堂の額、かなり古いものだと予想されます。


二尊院の幸せの鐘

これは鐘楼「幸せの鐘」と言います♪


なんだか、聞いただけでハッピーになるお名前ですけど・・・

どういう事かというと

この鐘は三回撞いてワンセットという代物っ


まず1回目!

自分が生かされている幸せを祈願して鐘を突きます。


そして2回目!

生きとし生きるもの全てに感謝して鐘を突きます。


最後に3回目!

「世界人類の幸せ」を祈願して鐘を突きます。


という、最後はかなりグローバルな願いで締めくくる鐘楼

誰でも自由に撞く事が出来るので境内に鐘の音が時折

響き渡っていました!


そして、最後にこの階段

二尊院の階段

ひゃーーーーーっ。(汗)

小倉山に広がる二尊院は広々としていて急な階段ももちろん登場!

ここを登って辿り着いたのは・・・

二尊院の法然上人廟

法然上人廟

廟とは霊を祀ってある建物の事ですね。


どうして法然の廟が

というと、一度荒廃してしまった二尊院は、法然の弟子による湛空(たんくう)によって再建されたからなんです。

二尊院の法然の掛け軸

法然の掛け軸もばっちりありました~っ


※こちらは「足曳きの御影」といって、これが書かれた時は最初、法然の足が片方、裾から出ていたんです。しかし、後日その絵を見た法然が不作法な姿を恥じ、念仏をその絵に唱え、裾から出た足を引っ込めさせたそうです。すごい・・・


そして、ここから

先ほどお話にも出ました藤原定家が小倉百人一首を選定した場所である

「時雨亭跡」へと続く道が伸びています


なかなか回り応えのある二尊院。


山道を巡るあたりは、延暦寺にも通じるものがありました~

是非、紅葉の季節にまた来てみたいお寺です


そんな二尊院の場所はコチラ↓


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