9月になってもまだアッツーイ
じゃぁ、取り上げる季節は冬にしちゃおう
ということで、今回はこちらの神社へとお邪魔して来ました~
「大石神社」
この大石神社は、
大石内蔵助こと大石良雄が縁で
内蔵助と言えば忠臣蔵
夏と言えば怪談
忠臣蔵と怪談を足すと
ちょっぴり怖い形相の内蔵助さん
TVで放映され
四谷怪談とのコラボレーション企画
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』をご存知の方も多いのではないでしょうか
さてさて、この大石良雄さん
以前、地蔵院(椿寺) でもお話しましたが
吉良義央に討ち入りをしたことはあまりにも有名ですよね
今ちょうど歴史の勉強をされている方の為にさらりと
何故?討ち入りをすることになってしまったのかご紹介しますねん
江戸城にて、勅旨に対して徳川将軍が奉答するという
勅答の儀が執り行われるはずだったのに
なんと勅旨を接待する役だった「浅野長矩」が
吉良義央に切りかかります
何故斬りつけたのかは諸説諸々あるので割愛しちゃいます
もう将軍様はびっくらこいたどころじゃなくて
怒り心頭しちゃいました。。。
:「てめぇ、浅野!今すぐ腹切れ!!切腹じゃー(怒」
:「吉良よ、かわいそうじゃったのぉ~。お前はわるないぞ、わるないぞ~」
と。
赤穂浅野には、お家断絶つきの厳しい制裁を下したのに関わらず
吉良側には何のお咎めもなし
ちょっと悟った顔の大石さん
流石に、赤穂の皆さんも揉めました。
一、直訴してなんとかして派
一、どうにもならん!切腹して果てよう派
一、もう討ち入りしかなーい派
一、従うしかないよ…orz派
そんな中、良雄の登場です
鎧じゃなくて、火消しの格好が赤穂浪士の格好なんだそうですよ♪
取りあえずは、城を明渡して
浅野長矩の弟:浅野長広から浅野家再興を言ってもらって
改めて吉良の処分を幕府にお願いしましょう。っと
まとまったかに見えたのです
け・れ・ど
幕府は浅野長広に対して
浅野長広の広島藩をよこせ♪と言い再興の願いは絶望的となっちゃうんです
首が切れてるような…(汗
ならば!吉良をうつしかない
となったのが
47人こと四十七士なんですよね
他の方は、転職したり他の藩へと行った方もいたそうです。
いざ、突撃ぃーっ
面白いのは、吉良邸に討ち入る時
12月14日の夜といえば、現代でも暗いのに
昔だったら真っ暗だったはず。
なのにも、関わらずなんと昼間の様にだったとか
こちらは、いつでもいける臨戦態勢
これは、
赤穂藩が討ち入りを果たす前に
ご近所さん方に聞こえるような大きな声で
「今晩、討ち入りしますけど。ご迷惑だけはおかけしませんから」
と声を上げたら土屋平八郎邸から
「ご存分にお働きあれ~♪」と言って
暗いと仕事に差支えがあるからと
提燈を沢山立てて
まるで昼間のような明るさになっていたようです
このことからもわかるように、
当時の人たちにとっても、赤穂浪士はヒーローだったんですね
本殿です。
その甲斐あってか、吉良の首を討ち取る事に成功した赤穂藩
なんと、帰り道に
吉良家の家臣に帰り道バッタリと出会っちゃったんですっ
しかも、何処かに隠れていて
あたかも自分たちも戦ったんだよぉーという風に
わざと自分に傷を残して帰る吉良家の家臣
両者とも
「えっ?」*2
ってハモったと思います(笑
こちらの宝物館には沢山のものが無料で展示されていました♪
討ち入りの後、
綱吉的には、「天晴れ♪見事じゃ、許そうぞ♪」
となっていたそうなんです。
でも、荻生徂徠(おぎゅうそらい)などが
「死んだ方が語り継がれる!」
と言ったとか
現に、今でも語り継がれていますよねん
願掛けの神様でもあるんですよ☆
赤穂浪士のだんだら羽織が
新撰組が羽織っていただんだら羽織の元になったんだそうですよ
それを作ったのは、現代でも有名なあの
大丸こと、大丸呉服店
こちらが、討ち入りのために武器を納入したといわれる天野屋利兵衛を祀る義人社です。
それにしても、
切りつけた浅野が悪くて、吉良にとっては悲劇以外のなにものでもないですよね
現代で言うと、赤穂はテロリストになっちゃうかも
でもそうはならないのは、その時代、時代の価値観があるからなんですよねっ
そんな内蔵助さん縁の、大石神社の場所はこちらです↓
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