こんにちは京子です
いよいよ、お待たせしました
本日は、天台宗総本山であり
法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、栄西(えいさい)、道元(どうげん)、日蓮(にちれん)
などなど、多くの有名な僧侶を多く輩出し
平安京の鬼門を守るお寺・・・
延暦寺(えんりゃくじ)です
いやー、とにかく最初に延暦寺に訪れた感想は広い
山間にあるので階段をいくつ登ったか計り知れません(笑)
そして全部を見て回るには
4時間はかかりますよ・・・(汗)
家に帰って来た時はクタクタで3秒で寝てしまいました。。
と、いうことで!そんな京子のスピリッツ溢れる
延暦寺レポをご覧くださ~い
この、延暦寺は世界遺産にも登録されていて
今でも修行道場として多くのお坊さんが修行をされています。
延暦寺は広大で、エリアとしては大きく
東塔(とうどう)
西塔(さいとう)
横川(よかわ)
の3つに別れています。
それぞれにエリアは車やバスで行き来される方が殆どです。
今回は、東塔にスポットを当ててご紹介したいと思います。
延暦寺の入り口となるのがこの東塔で
一番参拝者が多いのもこちらのエリアになります~
まず入るとすぐに目に飛び込んで来るのが
大講堂(だいこうどう)
ここが僧侶の学問修業の道場でもあります。
中に入ると、本尊の大日如来像があり、四方の壁には超巨大パネルが沢山かかっていましてそこに描かれているのは延暦寺で修行をした法然他、名僧侶のオンパレード!それぞれ解説付きで飾られていました。
外に出てみると・・・
ゴーン、ゴーン、ゴーンと聞こえて来るではありませんか
鐘の鳴っている方向を見てみると
ありましたー!
開運の鐘
こちらは一回50円で誰でも突く事ができるんです。
しかーし!注意書きがあり
よーく見てみると・・・
( ´Д`)連打はお止めください
なるほどぉ。連打する人もいるんですね
イタズラに何度も鳴らさないようにしましょう
京子も、お約束で鐘を突かせていただきました~っ。
さて・・・
この超エリート僧たちが大勢修行を行い、お寺会の重鎮と言ってもいい、延暦寺。
その延暦寺を作ったのが
最澄(さいちょう)というお坊さん
彼は近江国(滋賀県)の出身の平安時代の僧侶なのです。
彼の言葉である「一隅(いちぐう)を照らそう」と書かれた石碑も立っていました。一隅とはつまり、自分の今いる場所という意味で、まずは自分の置かれている場所や立場で精一杯の事をしましょう♪という事なんですね。
そんな彼は
空海(真言宗の開祖)とは切っても切り離せない関係なんです。
804年に遣唐使として2人は唐に渡ります。
そして、
最澄はここで8ヶ月間滞在し、天台宗を習得し
その後、この延暦寺を開山するんですね。
それに対し、空海は2年間滞在し、真言宗を習得します。
空海の習得した真言宗は密教とも呼ばれ
読んで字の如く・・・秘密の教え!なんですね。
言語では表現出来ない仏の悟りとも言われる特別なものだったんですね。
こんなに凶暴な亀を見たのは初めてです(汗)
2人とも桓武天皇にはすごく大事にされていました。
その理由は・・というと
桓武天皇は平城京から平安京に都を移した人ですよね
都を移した、その理由としては・・・
奈良ではお坊さんが偉くなり過ぎて、政治がとりにくくなってきちゃったんですね。
※お坊さんが政治に口を出してきたという事なんです。奈良は「南都六宗」と呼ばれる6つの宗派により栄えていました。
そこで、桓武天皇は奈良から離れて京都に都を移したんです。
しかし、桓武天皇は
「奈良の坊さんがこっちまで来られたらかなわーーーん!!」
という、対策の為に
唐から帰ってきた空海や、最澄を大事にしたんです
つまり、自分の息のかかった彼らに京都の仏教を任せようと考えていたんですね。
最澄と空海のお話の続きはまたまた後半で~っ
さてさて、
延暦寺といえば、こちらが一番有名でしょう。
根本中堂(こんぽんちゅうどう)
国宝です
比叡山といえば、織田信長による焼き討ちですよね。もちろん、この根本中堂も、徳川三代将軍家光によって、8年の歳月をかけ、1641年に再建されました。ですので、境内のいたるところに三つ葉葵も見受けられますよっ
実は、こちらの根本中堂の内部は撮影禁止でお届けできないのが残念だったものがひとつあるんです。。。
中にどんどん入ると、
一段低い「内陣」という非常に広いスペースがあります。
参拝者はそれを少し見下ろす感じになるんですよね♪
そして、そこから見えるのが薬師如来像。
その前に立ち上がる大きな火!!!!
お坊さんが絶やさず、燃やし続けながら
お経を唱えています。
建物が入り組んでいるので昼間でもかな~り、薄暗い内陣。
そこに一つの炎が照らし出す、なんとも
神秘的で幻想的な雰囲気が広がっていました。
これは何かと申しますと
なんと!
開山以来、一度も絶やすことなく燃え続けているという
不滅の法灯(ふめつのほうとう)
焼き討ちにあった際も分灯を再び持ってきて再開されたそうで最澄の開山以来、絶える事のないその炎に圧巻されちゃいましたっ♪
そのまま奥にどんどん進むと次に見えてくるのが
文殊楼(もんじゅろう)
最澄の弟子である円仁(えんにん)の修行を行う為に建てられたものだそうです。
こちらは中から2階部分に登れるようになっていて
今も中で修行をされているとのことっ
さっそく京子も興味深々で上まで登ってみる事に!
なかなか急斜面の階段を登ると
狭いスペースに何人もの参拝者がっ。
そして、お坊さんがお経を唱えられています。
もう目と鼻の先っ!
ちょっぴり、緊張感漂う文殊楼内は、すごく貴重な体験が出来ました
中には文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が祀られており
「智慧(ちえ)の文殊さま」(智慧は仏語で、つまり知恵の事)と呼ばれ学業向上のご利益があるそうで中にも外にも沢山の絵馬に、受験合格!などの願い事が沢山書かれていました。
さて、どんどん行きますよー
ところで、
ここまでポンポンと紹介していますけど
ひとつひとつはかなり離れていて
山中にあるお寺なのでその高低さもハンパないです(汗)
階段をいくつも超えて向かっております
さーて、ここでもう一度気合を入れ直して
お次は入り口まで一旦戻り、逆側のコースへと
足を運びます~っ
戒壇院(かいだんいん)
少し色合いが変わった建物である戒壇院。
色合いだけでなく、役割も少し変わっていまして
ここは天台宗の僧侶に大乗戒(規律)を授ける堂なんです。
つまり、僧侶として認められる為の場所で年に一度、ここで授戒会が行われるそうです。
次に見えてきた見事な朱色の建物が2つ!!
阿弥陀堂と東塔です。
阿弥陀堂は先祖、故人を供養するお堂です。
目の前には
キン・・・キン・・・キン・・・
と、とっても涼しげな音
そうです、ここにもありました~水琴窟っ。
暑さでボーっとした京子の頭に響く心地よい音、ありがたや~っ。
そして、こちらの東塔、中には
釈迦の遺骨である「仏舎利(ぶっしゃり)」や
「法華経(経典)」がなんと1,000部も安置されているそうですよーっ!
ここで京子はあるイラストを発見!
このブラックに輝く怪しげな魔物・・
これは厄除け大師として知られている角大師です。
天台宗の“中興の祖”といわれる元三大師(がんざんたいし)が鬼になった姿なのです
どうして、こんな怖いお姿に変わったかというと、
町で疫病が流行り、どうにか防ぐ手段は無いかと練りだしたアイデア!
彼は自ら鬼の姿へと変貌し、その姿を弟子に描かせてお札に刷り
家々の戸口に貼らせて疫病を退散させたという逸話があります。
うーん、アイデアマンですね♪
ちなみに、「おみくじ」を考案したのもこの、元三大師と言われています!いい仕事してますね~。
比叡と書かれた碑
お話は、最澄と空海に戻しまして
良きライバルでもあった最澄と空海。。。
そんな最澄がもっとも気になっていた事、それが
空海が唐で習得してきた「密教」なんです。
密教とは先ほどお話したとおり、秘密の教え。
最澄は唐に8ヶ月なのに対して、空海は2年も唐において修行をしていました。
最澄「うーん、どうしても知りたい・・密教ってなんだ・・」
そこでもう一人新たな登場人物を紹介します。
最澄の弟子である泰範(たいはん)
美男子でも知られるカワイイ弟子である泰範。
じつは、最澄と泰範は禁断の・・・仲だったんです
ある日、空海から最澄の下に手紙が届きます。
空海「オレの密教、学びに来ない??」
これに目がくらんだ最澄。
弟子の泰範を空海の元に送り込みます~
最澄「泰範、頑張って密教を習得してくるかなぁ?どんなんだろ、密教って。泰範~早くオレの元に帰ってきて密教とやらを教えてくれー!」
(・∀・)といったところでしょうか。
最澄が中国から仏教・茶・ゆばを持ち帰ったのが初めと云われこの比叡山延暦寺はゆばでも有名なんです。
と・・・こ・・ろ・・が・・・
( ´Д`)いつまで経っても泰範が帰ってこないーーー(泣)
そうなんです
密教に魅せられた泰範は
空海から離れようとせず
最澄は完全に困ってしまいます・・・
最澄「ウソだろーーー(泣)」
焦った最澄は泰範に一通のラブレターを書きます。
なんとそれが後に
国宝になっちゃいました(汗)
久隔帖(きゅうかくじょう)と言われるもので男性が男性に送るラブレターが国宝となっちゃってます。
そんな努力も空しく・・
泰範は帰ってこない(泣)
結果的に最澄と空海はこの事も一部原因にあるのでしょう
なんと決別ーーー!
しかしながら最澄は最後まで泰範が延暦寺に戻る事をあきらめていなかったといわれています。
最澄といえば、仏教界のスター。
そんな彼の人間味溢れるエピソードでした。
そんな最澄が開山した延暦寺の場所はコチラ↓
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