こちらは芦刈山(あしかりやま)です
山の上には、その名の通り
芦を刈る、おじいさんの姿を表わし
右手に鎌、左手には芦を持ち芦原に立つ姿を表わしているんですよ
御神体 御頭
実はこのおじいちゃん
摂津の国・難波で、その貧しさゆえに奥さんと離ればなれになったそうです
ある時、都へ出ていた妻は、夫のことが気に掛かり探していたところ・・・
落ちぶれて芦を売る夫を見つけちゃいます
御神体
そして、夫は
「君がいなくなって辛かったよ
離れるんじゃなかったよぉ
それにしても、芦を刈ってくらす難波の浦は住みづらいよ…」
妻は
「難波の浦が住みづらいなんて言っちゃダメです
貴方の為を思ったからこそ、私は貴方と離れたのですよ」
という意味の和歌を読みあい
すれ違いのしこりが取れた夫婦は、めでたく揃って都に戻ります
そのお話の由来は、あの「世阿弥作」と言われる
謡曲「芦刈」に
基づいているんだそうです
前掛:山口華楊原画「凝視」1986年
ちなみに、起源は「応仁の乱」前に「祇園社記」と呼ばれる書物には
当時の鉾の数「14基」、山の数「49基」
と記載されている中に、
「すみよし山 綾小路、油小路と西洞院の間」と記載されているそうです。
でもでも、現在の「芦刈山」があたる場所には「すみよし山」はなく、
また、「あしかり山 四条猪熊」、「あしかり山 錦小路東洞院」という記述もあり
現在は山の建たない通りに「あしかり山」という山が2箇所もあった記録があるようです
いきなり、2つに増えてしまうなんてとぉ~てもビックリですよね
以前使われていた見送りです。
「鳳凰と幻想動物に牡丹の図」刺繍 17世紀中期
「応仁の乱後再興」のくだりには
「綾小路、西洞院と油小路の間 あしかり山手かき」と記載されているようで
現在の芦刈山は、1496年の山鉾再興の時に創建されたのでは?と言われているようですよ
以前使われていた前懸です。
上が「波涛に鳥」中国刺繍補子
中央が「欧風景」毛綴(4枚継ぎ)1832年
左にあるのが見送です。
山口華楊原画「鶴図」綴織1985年新調
右にあるのは胴懸です。
尾形光琳原画「燕子花図」1994年
そして、中央にあるのが小袖で、
「綾地締切蝶牡丹文様片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんようかたみがわりこそで)」1589年
※重要文化財です!
山鉾最古の御神体衣装でもあるそうなんですよ~
そんな芦刈山の場所はコチラ↓
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