こんにちは~
京都はいよいよ梅雨入りかと思いきや、ポカポカ陽気
むしろ、暑い~!
クーラーをそろそろつけようか?つけまいか?迷っています
そんな今日この頃の、京子です
さて、本日は貴族専用の庭園だった事で有名で
なんと、あの「祇園祭」の原点と言われる出来事が行われた場所
神泉苑(しんせんえん)
貴族専用の庭園!?!?
といまいちなんだかピンと来ない方もいると思いますが、この神泉苑には大きな池があり一般の人は入る事の出来ない、貴族の人間だけが使えるお庭だったのです。舟遊びや遊宴が行われていたみたいですよ
そんな由緒ある、お庭に京子は行ってまいりました~
「史蹟 神泉苑」と大きく書かれた石碑と、鳥居をくぐります
こちらの鳥居が正面の大鳥居ですが、これは「御池通り」に面しています。
京都にお住まいの方だったら
おわかりかと思いますがこの「御池通り」・・・じつは
この神泉苑の中にある大きな池がある事から御池通りの名前が取られたという説もあるようです
鳥居をくぐり、まず見えてくるのが
恵方社(えほうしゃ)!
これがまたすっごく変わっていまして
なななーんと!
回転するんです!!!
いろんな方角を向くことが出来るこの恵方社ですが
なぜ?なぜ?と、いいますと
毎年、大晦日の晩11時に、来年の恵方(縁起の良い方角)へと
向けているんです
これってすごい画期的ですね!
全国でも回転式はココだけだそうですよ~
そしてその奥に見えますのが
善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)です。
天長元年(824年)に、干ばつが続き雨が振らずに困った朝廷は
東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)を呼んで
祈雨の法の競い合いをさせたんです。
そして、空海が善女龍王を呼び寄せ・・・見事、雨を降らすことに成功したのです~!
以後、東寺は栄えたといいます
左手には法成橋(ほうじょうはし)。
朱色の綺麗な橋ですが、
この橋を渡る時は、願い事を一つだけ心に念じながら渡り善女龍王社にお参りすると願いが叶うと言われています
言い伝えでは、なんとこの橋で・・・源義経と静御前が出会ったとされていて、義経はこの頃、京都を守る事を朝廷から言われており滞在していたのですが寿永元年(1182年)雨乞いの儀式で舞い踊る静御前と出会ったそうです♪
運命の出会いだったのですねっ。
もう一枚どうぞっ!
さて、この神泉苑(しせんえん)ですが
桓武天皇が794年に平安京を造営際に作られた庭園なんですよね。
なぜ、京都に都を移そうと思ったのか
平城京から京都に都は移されたのですが
その理由は、寺院の力をそぐため、といわれています。
ということは・・・それまでは、お寺の力が強かった?
という事になりますよね。
はい、そうなんです!
この当時はお寺の力がものすごく強くなっていて
度々、政治にも意見していたみたいなんですが
桓武天皇は
「俺の時代は・・そんなの関係ねー!坊主を調子にのらせるべからずーっ」
的な感じで京都に都を移そうと考えちゃいます。
じゃぁドコに都を移そうかなぁ?と考えた挙句、行われたのが
784年の長岡京遷都です。
しかーし
この長岡京造営のときに事件が起きます。
藤原種継暗殺事件ですね。
桓武天皇の側近である、藤原種継が暗殺されちゃうんです。(汗)
そしてその事件に関わったとされたのが、早良親王(さわらしんのう)でした。
それを知り激怒した桓武天皇は早良親王を流罪にします。
ですが、無実の罪だと訴えた早良親王は・・・
なんと、絶食をして対抗
京子ならガマン出来ずに、ご飯はしっかり食べてから無実の罪を訴えたいトコロですが
しかし
淡路島への流罪の途中で早良親王は・・・憤死
ですが、その後、桓武天皇の側近達が次々に死んで行きます。。。
「これは早良親王の祟りなんじゃないか!?」
と、長岡京中パニックに陥ります・・
そんな事件が長岡京でおこり、桓武天皇は早良親王の祟りを恐れて四神相応の地である平安京に都を移すわけです。
四神相応というのは
北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎がいるという四方をつかさどる神様がいて、それぞれの神様がいる場所、北に大きな山、東に川、南に池、西に大道があるところが風水かなんかでいいとされている場所なんですよね。(平安京についてはコチラにも詳しく書いてます、見てみてください♪)
ようするに
「そういう場所に都を作るとなかなかいい感じですよ~!」
という事で、北の大きな山には船岡山、東の川には鴨川、南の池は現在はありませんが巨椋池、西の大きな道には山陰道を構える平安京はその辺ばっちりでした★
(四神相応については諸説ございますがこのような流れで平安京へと都が移されました)
そこで桓武天皇は
「うん、ここにしよーっと!鳴くよウグイス平安京~!」
と、平安京遷都を実行したのです。
それにしてもこの四神相応の地は本当にばっちりだったんですね
それ以後1200年も京都は都として栄えているわけですから。
神泉苑にお話を戻しますと、法成橋を渡ると、見えてくるのが
本堂です。
神泉苑は全て回るととても広いですが(苑内に池もあるので)
当初の敷地は南北に500メートル、東西に240メートルもあった
大庭園だったそうです~。
現在の広さは当時の約、1/16になっています。
本堂の右手には石碑が。書いてある内容を読むと
この神泉苑で行われた御霊会
(政治的陰謀により非業の死を遂げた人や怨霊を慰めることで疫病を鎮めたお祭です)
が、後の「祇園祭」となったそうです。
神泉苑の南端にあったとされる祇園社(現、八坂神社)に
66本の鉾を立てて行列したそうです
なんとこれが祇園祭の始まりだったそうです!驚きです~っ
そして、池に沿って歩いていくと
グォォォォォッォ!
と、今にも火を噴きそうな龍が現れます
浮かぶ船は龍王船っ。龍の形をした船なんです。
しかし、近くで見るとけっこう怖い・・・(汗)
池の中には沢山の鯉の他に、亀もいます。こちらは「鯉塚」「亀塚」です。
このまま歩くと、北門に出ますが
スタート地点の大鳥居まで一旦戻り、今度は右手に回ってみたいと思います~!
右手すぐに出てくるのが
弁財天堂
なななーんと、ここの瓦は珍しい
なまずっ!
調べてみると、眷属神(動物霊)がなまずだそうです。
なんだか、この表情、この曲線が愛らしすぎるぅ。。
ということで、うーん
この広々とした感じ~!
当時の1/16になっちゃいましたけど、
ちょっぴり貴族気分に浸れて気分はリフレッシュできました
優雅な時間が流れる神泉苑の場所はコチラ↓
大きな地図で見る