本日は雨天orz
だったので、木屋町界隈を散策した時の様子をご紹介しちゃいますね♪
高瀬川名物と言えば
こちらの
一之舟が有名ですよね
角倉 了似(すみのくら りょうい)が作ったとして有名ですが、
角倉了以については、また別の機会に記事にしますね
今回のぉ~
有名人はこの方
維新三傑の一人としても超有名!!
な
「桂 小五郎」
こと
「木戸 孝允」
です。
ちびっ子のみんな~、毛利小五郎じゃないよ!?
眠りの小五郎と言われている毛利小五郎に対して、
逃げの小五郎の異名を本人は持っていたりしますが(@Д@;)キニシナイ
パネルによると、吉田松陰の門下生とあります
ぐわっ!(がっ!)
実は、「弟子」ではあるものの「塾生」ではなかったりするんです
ナンダッテー!!
と、京子は当時叫びました
そんな、桂小五郎さんは「長州藩士」
長州藩士と言った後に思い浮かぶとしたら
やっぱり「薩摩藩士」が出てくるんじゃないでしょうか♪
龍馬関連でも、薩摩と長州は切ってもきれない関係ですよね☆
でもでもでも、
何故、そんなに「薩摩」と「長州」がくっついた
「薩長同盟」
がそんなに凄いことなの~とお友達に聞かれたことがありました
それは
以前ご紹介した美味しい蛤…否、
梨木神社ですこ~し取り上げた「禁門の変」がありましたよね。
そう、長州藩の過激派による天皇様をお連れする作戦♪
この時に、長州藩をやっつけたのが
なんとなんと「薩摩藩」@幕府連合
実は、薩摩 vs 長州 の因縁は
ここから深~~~~~~~~く
深~~~くなっていってしまうんです
この時代、幕府に次いで勢力の大きかったのが
何を隠そうこの二大勢力の薩摩と長州
幕府としては、長州が弱ったタイミングで
更に弱体化させたいわけですよね
都落ちした、長州に追い討ちをかけるべく出しちゃいました!!
こんなん出ましたけど~♪
ドン!!
「第一次 長州征討」
向かうは、薩摩藩(と、幕府連合)
迎え撃つは、長州藩
ヒぃぃィィィィイイイイイイイイイイ
「もう、やめて~。長州藩のHPは0よ!!」
と現代はなってしまうかも知れませんが、
そんな生易しい時代じゃないですよね(ノω・、)ウゥ・・・
身内という身内
親や、兄弟、愛する人に、親戚を間違いなく薩摩に殺された人が多くいるんです(怨恨
そして、この時代
隣の藩は、もはや外国と思っていた時代です。
同じ日本人同士という感覚なんてなかったと思います
言葉は悪いですが、、、
憎くて憎くてどうしようもないくらい憎かったと思います
そんな中で、親しい人を殺されて
仲良く手を握って
今のままの幕府じゃ駄目だ
幕府を倒そう
なんて、普通はならないですよね
表向きは、薩摩は「米不足」で
長州は、「武器不足」と両者の利害が一致したから。。。
ということもありますが、
京子はそれだけだったとは決して思えません
私が思うのは、
「龍馬」がいたからこそ
吸収剤の役目を果たせたと思います♪
龍馬と言えば
⇒寺田屋
ではでは、なぜ龍馬が仲介役になれたのでしょう
それは、本日ご紹介した桂小五郎を納得させたからとも言われています。
実は、この桂小五郎は現代で言う
すんごぉ~く偏屈な人で。
大変頑固な人だったそうなんですが
なんと、龍馬はこの人に決闘で勝利してたりするんです♪
しかも、桂小五郎は「逃げの小五郎」の異名を持ちながら
「幕末最強の剣豪」と言われていたりもするんですって
そんな人に、勝利しちゃった龍馬。。。すごすぎます
桂小五郎も自分より剣の腕が立つ、龍馬の言うことを聞いてくれたからこそ
薩長同盟が成り立ったんですね
手を取り合うどころか、見るのも聞くのも嫌だったはずなのに…
凄いことですよね
すこし?かなり?脱線しちゃいましたが、
桂小五郎と言えば、幾松のお話が有名ですよね
新撰組に追われていた桂小五郎を、かくまった幾松
新撰組と言えば
⇒八木邸
⇒壬生寺
ガサ入れのごとく、住居を荒らしまわられ
最後に残ったのが幾松が弾いていた三味線の前にあった長持
もちろん、取り調べようとしますが
幾松がナント、新撰組に!近藤勇に!!
「こんだけ住居荒らしまわって
この長持の中までいなかったらどう落とし前つけてくれはるんどすか?われ~~?」
と、そんなに言葉遣いが悪かったかどうかはわかりませんが
こんなにも恥をかかせた挙句、ここにまでいないとなるとどう責任とってくれるのですか?と
切腹して頂けるのですか?
と、近藤勇に詰め寄ったと聞きます。
目印はここです
ズドーン♪と、真っ直ぐに突き抜けてます
ササササッサッ♪
と新撰組は、刻一刻と桂小五郎に迫っていったのですね♪
現代は、こののれんを潜り
この玄関から押し寄せたことと思います
その当時、20歳そこらだったそうなんですが
京子は、今でもそんな事を言える自身がないです
ましてや、長持に手をかけようとした近藤勇の手を三味線のバチで払いのけるなんて
凄く勇ましく頭の切れる人だったんですね
この事が功を奏してか幾松は、本妻になり「木戸 松子」という名になるんですよね☆
木屋町界隈には、藩邸や史跡が沢山あるので
また別の機会に史跡をちょくちょく入れていきますねん
そんな桂小五郎と幾松が、愛を育んだ?場所はコチラ↓
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そして、桂小五郎の銅像があるホテルオークラの場所はコチラ
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