メモ2014-07-10
テーマ:史跡

西寺跡

本日ご紹介するのは

京都市南区の唐橋にある

西寺跡

西寺跡(さいじあと)です!


近くには鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ)や

羅城門跡地(らじょうもんあとち)がある所なんですよ。


西寺(さいじ)と聞いて?マークが浮かぶ人は多いと思いますけれど

世界遺産としても有名な東寺(とうじ)は


東寺(教王護国寺)の概観

東寺


皆さんご存知ですよね

※東寺について詳しくは、東寺(教王護国寺) その1の記事をご覧ください。


実はかつて東寺の対になるお寺として

建っていたのが西寺なんです


794年(延暦13年)に

桓武天皇(かんむてんのう)の勅願で

平安京の造営が始ります。


史跡 西寺跡と書かれた説明板

その際に平安京の入り口

朱雀大路の南端に置かれた羅城門(らじょうもん)の


羅城門跡地

羅城門跡地に建つ石碑


東には東寺を

西には西寺を

官寺(国立寺院)として建てました。


つまり東寺と西寺は

左右対称の位置に建てられたというわけなんです♪

※外交や海外交易の施設である鴻臚館(こうろかん)として作られたという説もあります。


写真を見てもらえば

おわかり頂けますように

西寺跡に出来た公園

現在、西寺は無く

公園として残されているのみなんですね~


『史蹟西寺阯(しせきさいじあと)』と書かれた

石碑の立つ土塁の上には


礎石1


礎石2


礎石3

3つの礎石(そせき)がありましたよ♪


この盛り上がった土は

戦前に松尾大社の御旅所として盛られたもので

西寺の遺構では無いとの事です。


ちなみに西寺の規模はどれくらいだったかと言いますと

現在の東寺とほぼ同じだったと言われています。


という事は・・・

相当大きなお寺だったというわけですよね


具体的には・・・

東西が約250メートル

南北が約510メートルで

金堂、講堂を中心に

南大門、中門、五重塔、僧坊、食堂などの伽藍があったと言われています。


『京都坊目誌(きょうとぼうもくし・京都の地誌、歴史書)』によると

東福寺(とうふくじ)にある殿鐘楼の梵鐘は

もともとは西寺のものだったそうですよ


その後、両寺は諸説ありますけれど

嵯峨天皇(さがてんのう)によって

東寺は空海(くうかい)に

西寺は守敏(しゅびん)に下賜(かし)されたと伝わっています。

※下賜とは、身分の高い人が身分の低い人に物を与える事を言います。


空海と守敏はともに真言宗の僧で

事ある毎に対立していたと言われているんですよ~


そんな中、干ばつが続き雨が振らずに困った朝廷は

824年(天長元年)の夏、空海と守敏を呼んで

神泉苑(しんせんえん)で雨乞い合戦を行わせました


守敏は西寺の金堂で

三日三晩寝ずに祈祷を行ったそうですが

とうとう雨は降りませんでした。


その後、空海が

神泉苑の竜神の池の祠で祈祷を始めると


善女龍王社

神泉苑の善女龍王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)


善女龍王を呼び寄せ雨を降らすことに成功したんですね!


これ以降、東寺は栄えて

西寺は衰退していったと言われています。

朝廷の守敏への信任も無くなった事は言うまでもありません


その後、西寺は

990年(正歴元年)に火災によって焼失

のちに再建されますけれど

1233年にまた焼失しちゃったみたいで

それ以降は再建されませんでした


ちなみに遠藤盛遠(えんどうもりとお)で

お馴染みの文覚(もんがく)も

塔の修理を行ったという記録があるそうです。

※文覚について詳しくは、恋塚寺の記事をご覧ください。


そして1921年(大正10年)3月3日には

国の史跡に指定される事になりました


1959年(昭和34年)から始った発掘調査によると

金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認されたみたいですね~


また、一辺が22メートルもある

市内でも最大の井戸跡が見つかったそうですよ!!


井戸というよりそこまで大きいと

巨大なプールですよね


そんな西寺跡の場所はコチラ↓


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