メモ2012-06-21
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その70

こんにちは京子です。

今回は京都検定の過去問を

写真と解説付きで

出題させていただきたいと思います


皆さんもチャレンジしてみてくださいね。

では早速1問目です!

【問題】

肖像画の傑作として名高い「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能(ふじわらのみつよし)像」(いずれも国宝)は(   )に伝えられた。

ア.高山寺(こうざんじ)

イ.西明寺(さいみょうじ)

ウ.神護寺(じんごじ)

エ.上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)

答えは↓にスクロールして下さい。


シンキングタイム★

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では、答えですっ。


神護寺

【答え】

ウ.神護寺

これらは『神護寺三像』と言われ

どれも、ほぼ実物大に描かれた巨大な肖像画です。

源頼朝像に関して

一説には頼朝ではなく足利直義(あしかがただよし)という

人物であるとも言われていますが

描き方の技法などから

鎌倉時代に書かれた可能性は高いそうですね。


ちなみに平重盛は平清盛の嫡男であり

平家を受け継ぐ人物として期待されましたが

父親である清盛よりも先に病死してしまったんですね。

現在放映中の大河『清盛』でも

徐々に登場シーンが増えている人物です


藤原光能は平安時代末期の貴族であり

天皇の秘書とも言える『蔵人頭(くろうどのとう)』にまで

出世した人物だそうですよ


では2問目です!

【問題】

玄宗(げんそう)皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝える通称「楊貴妃観音」は(  )にある。

ア.今熊野観音寺

イ.六波羅密寺

ウ.東寺

エ.泉涌寺

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。


泉涌寺

【答え】

エ.泉涌寺

世界三大美女の1人と言われる楊貴妃は

17歳の時に

唐の6代目皇帝『玄宗』の息子の妃(きさき)となります。


義理の父親にあたる玄宗は

彼女を寵愛し

政務をそっちのけで溺れてしまったと言われています。

しかも彼女だけでなく

彼女の家族や親戚までもが玄宗によって

高い地位に取り立てられたというんですから

彼女への愛情の深さが伝わってきますね。


しかし楊貴妃は38歳という若さで死んでしまい

玄宗は彼女を偲び

楊貴妃観音を造らせたと言われています


では3問目です♪

【問題】

吉井勇(よしいいさむ)をはじめ多くの文化人がひいきにした祇園のお茶屋・大友の女将は誰か。

ア.山川登美子

イ.磯田多佳

ウ.津崎矩子

エ.松本佐多

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。


【答え】

イ.磯田多佳(いそだたか)

かにかくに碑

現在、大友の跡地には『かにかくに碑』が建っています。

これは

祇園を愛した歌人、吉井勇が残した詩が刻まれたものです。

お店の常連には彼をはじめ

夏目漱石などの著名人や

多くの作家や画家・詩人が訪れたそうですよ。


磯田多佳は23歳で家業を継ぎ

大友の女将となったそうで

別名『文学芸妓』とも呼ばれたそうですよ


では最後の問題です!

1級からの出題になりますので選択肢ではありません。

ズバリでお答えください。

【問題】

御土居跡

天正19年(1591)、豊臣秀吉が建設を始めた京都を囲むための御土居(おどい)は当時、何と称されていたか。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。


【答え】

京廻ノ堤(きょうまわりのつつみ)

全長、約22.5kmあったと推測される土手で

四角形にぐるっと取り囲まれた形をしていました。

この中に二条城や御所が入っており

御土居の中を洛中、御土居の外を洛外と呼んでいたんですね

御土居跡は廬山寺などで見る事が出来ますよ~。


という事で本日も4問出題させていただきました

みなさんは何問正解されましたか?