メモ2013-03-01
テーマ:お寺
関連:修正会 2013(来迎院) / 

来迎院(大原)

こんにちは京子です!

今回ご紹介するお寺は・・・

来迎院

来迎院(らいごういん)です


京都市左京区の『大原』と呼ばれるエリアにある寺院です。

※京都には同名の寺院が東山にもありますが、今回ご紹介するのは大原にある来迎院です。


来迎院こま札

起源は平安時代初期

天台宗の開祖で知られる最澄(さいちょう)の弟子にあたる

円仁(えんにん)が建立した

声明(しょうみょう)道場に由来します


声明とは

お経に節やリズムをつけた声楽(仏教音楽)の事です

※声明について詳しくは、実光院 その1の記事をご覧下さい。


円仁は唐で14年間の修行をする中で声明を習得し

日本に持ち帰った後

この大原の地に道場を建てました。


その後、道場は衰退しますが

平安時代後期に『良忍(りょうにん)』が

この道場を基に、来迎院を再興します。

彼も円仁と同様、比叡山(延暦寺)の僧でした

※延暦寺に関しては延暦寺(東塔)延暦寺(西塔)延暦寺(横川)の記事をご覧下さい。


石段

山門をくぐると、石段になっています。ここを登り、お堂を目指します。


当時、比叡山の僧は隠居(隠棲)先に

この大原の地を選んだようで

すでに比叡山を離れた多くの僧が住んでいたそうです


実際、大原には

多数の天台宗の寺院が今も残っています。

当サイトでも

三千院勝林院宝泉院、実光院をご紹介していますので

そちらも合わせてチェックしてみて下さいね。

※『三千院』については三千院三千院の桜、三千院の紅葉を、『実光院』については実光院 その1実光院 その2をご覧下さい。


ちなみに、良忍の場合は隠居というワケでは無く

延暦寺と三井寺(園城寺)の争いに嫌気がさして

山を降りたとも言われています。

大原にやってきた良忍は

この地に根付く声明を更に突き詰め

後の天台声明の礎を築いたと言われています


本堂

本堂です。かつては多くのお堂があったそうですが、室町時代中期、何度も焼失に遭ったそうです。こちらの本堂は室町時代後期に再建されたものだそうですよ。


絵馬

絵馬には不動明王が描かれています。本堂にも、本尊の脇侍(わきじ・本尊を補佐する役割)として、この不動明王は安置されていました。


ちなみに彼は

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の開祖としても知られています。

『融通念仏』とは分かりやすく言うと

「1人はみんなの為に、みんなは1人の為に念仏を唱えましょう。」

という考えで

自分の唱えた念仏の功徳は、多くの人に融通し

他人の唱える念仏も、自分の功徳に融通するというものです


これが民間の間に普及し

大念仏(集団で念仏を唱える事)が生まれ

後の大念仏狂言へと発展していくんですね

※大念仏狂言について詳しくは嵯峨大念仏狂言 2012(清凉寺)の記事をご覧下さい。


良忍は、来迎院を再興した後

大阪に融通念仏の総本山『大念仏寺』の基となる寺院を作る事となります。


境内を流れる川

境内には声明の調(ちょう・音階)から名前が取られた『呂川(ろがわ)』と『律川(りつがわ)』が流れているんですよ。


良忍の御廟

その先には良忍の御廟(ごびょう)があります。鎌倉時代に建てられたそうです。


境内には、上記の写真のように川が流れています。

これは声明の調(ちょう・音階)である

『呂曲(りょきょく)』と『律曲(りつきょく)』から名付けられたものです


ちなみに、この2つの調は

『ろれつが回らない』という言葉の語源にもなっていて

声明を行う上で、これらの調が上手く噛み合わなかったり

調の使い分けが出来ず、どれに分類されるのか

分からないような旋律を

『呂律(りょりつ)が回らない』と言ったんですね。


こうした事から

不明瞭な言葉で、聞き分ける事が出来ない状態を表す

『ろれつが回らない』という言葉が生まれたそうですよ


そんな来迎院の場所はコチラ↓


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