メモ2010-09-07
テーマ:お寺
関連:延暦寺(東塔) / 延暦寺(横川) / 

延暦寺(西塔)

さてさて~

本日の京子ブログは・・・お待たせしましたっ。

延暦寺(西塔)

延暦寺の西塔(さいとう)です。


この延暦寺はとても境内が広く

すべてを見て回るには4時間はかかるといわれる

超巨大要塞(汗)


前回はその中から東塔(とうとう)をご紹介させていただきました。

※もしよければ、前回の記事と合わせてご覧下さいね。


ということで!

本日は延暦寺の西塔をピックアップさせて頂きたいと思います

さらっと、延暦寺の事をおさらいしておきますと

天台宗総本山であり

法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)

栄西(えいさい)、道元(どうげん)、日蓮(にちれん)

などなど、多くの有名な僧侶を多く輩出し

平安京の鬼門を守るお寺であります。


では、では、行ってみましょー!

延暦寺の東塔を回った京子は順調に西塔に移動~っ。


しかーし・・もう、この時点でかなりの汗だく・・(汗)

延暦寺を夏に回られる方は

しっかりと水分補給を取ってから移動してくださいね


さて

この西塔エリアで、まず最初に見えてきたのが・・・

延暦寺(西塔)の椿堂

椿堂(つばきどう)

とにかく、山道の中にあるので、足元に気をつけながらやっと辿り着けました。


( ´Д`)もう、トレジャーハンターになったかのような気分であります(汗)


この椿堂は、あの聖徳太子が比叡山に登ったとき

なななーんと、杖として使っていた椿の枝をズボっと差してみたところ・・

根を広げ見事に育ったところからこの名前がついたようです


栄養素が土に満ち溢れているというトコでしょうか

それなら京子も、椿堂の土から栄養素をもらっちゃって次へ向かいたいと思います~


さて、お次は

二個連なったお堂が特徴的な

にない堂です。


延暦寺(西塔)の常行堂

向かって左側の常行堂(じょうぎょうどう)


延暦寺(西塔)の法華堂

向かって右側の法華堂(ほっけどう)


この二つをまとめて、にない堂と呼ぶのですね。

京子が行った日も、このにない堂から

お坊さんのお経の声が絶えず聞こえていました


しかも、修行中の為、中には入れず・・・残念です(泣)


ちなみに、このにない堂、二つのお堂を

廊下で繋いでいるんです!

そんなにない堂の渡り廊下を・・・

な・・・

なんと

あの力持ちの弁慶が、

まるで重量上げのように

ぬぁぁぁぁぁぁ!!!っと持ち上げて二つのお堂を担いだと、いう伝説もあるそうで、「弁慶のにない堂」とも呼ばれてるそうですよ~


いやー、しかし・・・


弁慶は、本当に人間なのでしょうか?

( ´Д`)逸話がいつも凄過ぎます・・・(汗)


延暦寺(西塔)の「弁慶の飛び六法 勧進帳を観て」の詩碑

他にも弁慶にまつわる「弁慶の飛び六法 勧進帳を観て」の詩碑


ここを通り過ぎ

まっすぐ歩きますと見晴らしのいい場所に出ますっ。


そうです、ここにあるのが

延暦寺(西塔)の釈迦堂

釈迦堂


ここが西塔の中心といわれているだけあって

人も多くいらっしゃいましたし、

お堂の中にも、観光客やお坊さんの姿がチラホラ見えました★

みなさんもご存知の、織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ち後、豊臣秀吉により、コチラの場所に移築されたそうです。


それにしても、

比叡山焼き討ちっていったいどうして起こったの


あの、織田信長が1571年に延暦寺を襲い、

僧侶だけでなく、子供や女性までの首をも刎ね、その数3,000~4,000人と言われています。


その前に、織田信長が11年間も戦った戦があったのをご存知ですか??

それが、石山戦争なんです。

本願寺勢力(一向一揆・一向宗)と織田信長との戦いだったんですね。


延暦寺(西塔)の浄土院

西塔の入り口を左に進むと・・


延暦寺(西塔)の浄土院

浄土院が見えます!


では、なぜ宗教勢力と信長は戦争をしたのでしょう?


これを話す前に確認しておかなければいけないのは

今のこの時代のお坊さんと、昔のお坊さんは違うという事なんですね。

では、具体的にどこが違うのかというと


昔のお坊さんは武力を持っているというところなんです。

僧兵(そうへい)とも呼ばれます。


そして当時のキリスト教の宣教師であるルイス・フロイスも日本の全国民の、なんとほぼ大半が「一向宗徒」だと見ていたそうで、本願寺に集まる「巨額の富」は計り知れないと本国に報告しているそうです。


延暦寺(西塔)の階段

こちらの長~い階段を上ると・・・


延暦寺(西塔)の山王院堂のこま札

そうです、ここは・・・!?


延暦寺(西塔)の山王院堂

山王院堂です、でも残念ながら修繕工事中でした・・・。


それらを踏まえた上で

信長が比叡山延暦寺を焼き討ちを行った理由として・・・


1.本願寺勢力と戦っていた信長は彼らの(仏教勢力に対する)見せしめを目的にされた事

2.足利義昭(あしかがよしあき)の不穏な動きに合わせ浅井・朝倉軍から発生した信長包囲網(反信長勢力)に延暦寺も加わっていた事


だったんですね。


さて、そんな信長の比叡山焼き討ちで

戦火を免れた建物

も存在していまして

それが

延暦寺(西塔)の瑠璃堂

瑠璃堂(るりどう)なんです。

西塔の中でも、少し離れた場所に位置しています。


そしてそして!

お堂、以外の建物もご紹介しますと・・・

延暦寺(西塔)の親鸞(しんらん)聖人修行の地

親鸞(しんらん)聖人修行の地


ひっそりと緑に囲まれた場所に佇む石碑。

かつて、この場所で修行を行ったという事ですね。。

延暦寺(西塔)の仏足石

こちらは仏足石(ぶっそくせき)

釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としているんですね~。


延暦寺(西塔)の五重照隅塔

五重照隅塔


もちろん、

これ↓もありますよ~っ。

延暦寺(西塔)の鐘楼

鐘楼(しょうろう)です。


こちらは、東塔とは違い、勝手に鐘をついちゃわないように注意してくださいねっ。


さてさて、

こんな感じで、西塔も順調に巡った京子!!


残すは、最後の砦・・・

横川エリアです

こちらはまた別の機会にご紹介したいと思いますね~っ。


そんな延暦寺の場所はコチラ↓


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